Sunday, December 9, 2012

12月9日の私

過去を知ることには価値があまり無いようなことを...コスモポリタン*カフェで書いていましたが、過去をふりかえり反省の材料にすることは良いですね。

ですから2012年になってから出会う古い宇宙連合情報からも、確認できることが多くありました。

まず過去の自分確認にもなります。
真実を知るために出会えた本なのに、それ以上は著者自身に溺れることなく、依存することもなく、軽く流してこれたことが良かったことも確認しました。

各国の政治経済を牛耳る人物たちが、何者なのかを薄々感じても、暴露されて知ることがあっても、うかつに凡人が行動など起こせませんし、知るだけで先ずは十分で、知れば知った意識波動が電波になって他に伝わると信じるのも_心を安定させます。

過去の出来事で思い出したのは、火星大接近の夜のことでした。
赤と青の2つの大きな十字の輝き、発光が、火星の3倍はある大きさでしたが、火星上に重なるように発信されているのを見たのでした。

そして脳内に響いた感じといいいますか、瞬時で、心に聞こえたといいますか、説明不可能ですが_闘争のマルスは平和の戦士になった_と感応したのでした。

火星にも縁があるのかしら...そう思いながらも、ただ静かに受け入れる私がいました。ギリシャ神話など勉強するわけでもない私で、マルスについて特別に考えて暮らすわけでもなかったのですが、ふとした流れで書いていた物語には_火星と過去生で呼ばれていたらしい少年が登場するのでした。
書いているうちに突然に湧いたことなので、私も驚いたぐらいでしたから、火星で誕生した巡間期もあったのか...そういう空想ですませていたのです。

1980年代には、これは日本でのことですが、金星ハトホルの本を読んだ後のことですが、その当時住んでいた家の3階にいたら、天空からそれはそれは美しい調べが聞こえてきたのです。
雅楽と西洋のクラシックの2つが、言葉では説明がつかないほどの天上の調べとして1つに絡まる完璧な音楽でした。
音調も音律も、聞けば恍惚とする生命細胞の苦悩を全解放するかのようなもので、酔いしれる妙味とは、決して飲酒やドラグでは味わえないということを(ドラグはやったことがありませんが)理屈ぬきで感じることができたのです。

また世界がそのように東と西は1つとして再生されるなら地上天国となって、その響きがそのような調べとなって宇宙に届くのかもしれないことを、今は足して思います。

今年になってから、さらに具体的にレピタリアンの侵略の過程を知ることができましたが、2013年以降の西と東が、レピタリアン変身体の政治家などに愚弄されないで、一般の人間同士が目覚めて意識結束していくなら、金星から受け取った音楽でのメッセージのような世界へと向かって_再生されると思います。

きっと、1人1人のそういう調べ_心_が協調して大協和という協和音(饗宴)シンフォニーとして大宇宙に届くなら、同じくに過ちを正した宇宙連合と融合した地球へと変容すると思います。

プレアデスもオリオンもシリウスも間違ったようですね。
ニビルの地球関与は地獄の沙汰を生み出しました。

ニビルのアヌンナキが地球関与を止めたようですから、2012年のニビル接近説はナサと政府の策謀かもしれません。
ニビルは褐色惑星で肉眼では見えず、しかしナサは映像を捉えたとユーチューブなどで流しています。
災害対策しながらも、移転などできる状態で、さらに実行したいなら決行すれば良し。

私は、一応は『終わりかもしれない』と死を思ったことで、逆に得たものがあったと思います。
ささいな不都合をふくめて理不尽な事事への哀しみなどを感じる気持ちが、以前よりもっと『あきらめ』への気持ちと針がぶれたように思います。

気持ちゲージの動き、感覚でつかめますね。
自内宇宙の天秤、たいせつです。

そして、批判はいけないとか、理論や理屈や干渉は他人のためにならないとか、そういった全面受容の愛に見える宗教家まがいの贋ラヴは、

増々レピタリアン政治家などが支配を未だに試みる新ナチズムという、そのホロコースト方策に乗ってしまう流れと同じではないでしょうか?

他人への必要以上の干渉は必要ないのですが、経験豊富な意識次元が高い人は多次元の人間個性を理解しえるかもしれませんね。


超古代にニビルのアナンヌキがしたことは、干渉というより侵略侵害でした。

元来、日本に初めから存在した神の子等の自然と密着しながらの繁殖と自然に溢れる地球を、宇宙神は望んでいたはずなのです。

多分にカタカムナ人と呼んでみたい神の子等の始祖が繁栄させた子孫を、レピタリアンになってしまった神武が率いる部族に抹殺されかけて、後には戦国時代を生み出し、明治天皇までレピタリアン変身体とされて、鉄砲隊まで編成する日本となり果て、武士道散りゆき、開国へと向かう哀れな日本に成り果てたのです。

日本は古代日本のままでも十分に良かったのです。電化製品がなくても、大家族和合と村の和合、四季ごとの祭りなどで十分に幸せだったはずです。

他星人である、蛇を含めた爬虫類生命体に嫉妬されて、全てが変化を余儀なくされたわけですね。
聖書に登場する蛇とイヴとアダムは、たぶん爬虫類人と神に創造された初めの人間のことですね。爬虫類人の知恵を知った2人で、爬虫類人的なセックスの営みに溺れたということでもあると思えてきます。

イヴが蛇の子を宿したと想像もできます。アダムも食べてみたらどうかとイヴに勧められて食べたというのですから、これは吃驚妄想ですが...知恵という_土にまみれてあくせく労働する寿命に限りがある生命になることを了解した_そして同時に蛇と交わりホモセクシャルの性の営みを知った_とも言えてしまうのです。

その天罰によって、実は地球という低次元惑星に追い払われた2人。
今はそう信じます。
ですから、日本に初めから神の民として在った人々はレピタリアンが介入不可能な特殊な存在だった。この聖書の2人とは無縁でしょう。

アダムとイヴの子孫であるユダ12部族の人物をヤドカリとできたレピタリアンは、聖書にあるアダムとイヴを堕落させた蛇の親類だからであり、12部族はすでにアダムとイヴの過ちを遺伝子に刻んだ子孫であるという因果を巧みに利用して、日本侵略と神民としての鮮度堕ち(次元格下げと腐臭がする貴族階級と貴族的エレガンス等、西洋の中世と変わりが無い腐敗)蔓延や懐柔と天皇家仕立て上げを目論んだ。

神武侵略以前、古代日本には元来の天皇と呼ばれぬ天皇がおられたはずです。
(妄想)

その後の貴族階級の陳腐さと蛇のような執念深さや性欲のままの怨念行者まがいの天皇の様子などは、最近ではドラマ<平清盛>で巧く描かれている。

私の感覚では、蛇=神宮の祭祀と関係があるという聞きかじり情報を混ぜての上、それなりの敬いはありましたが、蛇はどうも苦てでした。
『蛇はエネルギーの象徴に過ぎない』と言い聞かせても、納得は半分でした。


時代を経て、日本中で起きた戦国時代の暗殺なども、結局は12部族の中の多くのレピタリアン変身体が拡散したレピタリアンの子孫と子孫の争いであり、その中で神の民は神の民である遺伝子を同じくする者を助けながら生存に賭けたのだという、そのような思いが湧いてきます。




Yap遺伝子などと言いますが、Y染色体_D, E, O_と型があるということで、レピタリアン変身体でも遺伝子は盗んで(殺した後にね..)いるわけですから、その遺伝子を保つことになるでしょう。
ですから、ユダヤ12部族がシルクロード経由で日本に渡来して、その途中で中近東に(D系統でEも保持するという話)立ち寄ったかどうかは不明にしても、とにかく日本へとレピタリアン変身体となって入ってきて、Yap_D遺伝子を受け継いだことを信じます。

彼等は長い年数をかけて、日本の血筋に交わることを計画してきたのですから。

男性だけが受け継ぐ遺伝子だそうですから、昔から男子を生む嫁は喜ばれたわけですね。


私は子供の頃、インド人と呼ばれていじめられましたが、中近東と聞けば懐かしい思いが湧いたものでした。絶対に住んだことがある_と、そう思いました。
余談ですが、私の父母も兄弟姉妹も毛深くありませんが、私だけが毛深いのです。
アイヌや沖縄人に間違われたものです。肌の色も青がかった小麦色でした。


イエスは黒髪の黒い瞳を御持ちでした。疑いなく信じました。

『ユダは裏切り者ではない、同意の上の芝居』だと聖書を読みながら湧いてきた思いを信じましたし...とにかく個人的には、イエスが十字架上での死から蘇らされて、宇宙連合の円盤で日本へ来たか真の故郷惑星に還ったか...の説に多いに賛成です。
故郷の惑星に帰還したという方が正解かもしれません。

イエスになされたことも、干渉など遥かに超えたレピタリアン変身体の侵略侵害であり、殺人でした。と、思うのは当時のサンヘドリンという権力者組織が策謀してイエスを追いやったと信じるからです。
フリーメーソンを操るイルミナティ、さらに奥の院のサンヘドリン|天孫降臨 ...


他人の干渉を嫌がる人間が、吸血レピタリアンの侵略暗殺_国民を生き埋めにする_政治経済や国の命運を任せて、そして家族などを生け贄同様に捧げていることに無知であるのは、まったくもって情けないですね。

宇宙連合の働きで、チベットの地下は一掃されたそうです。
ダライ ラマの素晴らしさを聞かされたりはしてきました。
何の特別の感心も持てなかったので、それはそれで自内宇宙の振動数に合うものがなかったということですが、その理由が明確になりましたので、喜んでいます、淡々と。

ラマさんの写真で見る笑顔が...どうも、わざとらしく、好みではありませんでした。

こんな世界であるのに、皆が言うような人なら、あんふうに幸せそうに笑い顔でいられるのか!!!と、そんなところでした。深くに訴えてくるものが0でした。

ただし、中国に侵略されたチベットと戦い死んで逝かれた僧の皆さんを想い、慟哭しました。映画の出来が良かったのです。子供だったラマさん、すでにレピタリアン変身体だったのでしょうか。

無惨ですね...そのように多くの子供が犠牲になったのでしょうか......知っている1人の子供が犠牲になった予感も走って...胸が詰まります  

残酷です。起きては決してならない!!!惨事でした。
なんという地球の歴史でしょうか。


嗚咽で、今は、もう、これ以上書けません。







No comments:

Post a Comment

Note: Only a member of this blog may post a comment.