Tuesday, December 11, 2012

12月11日///朝日が美しい

本日は日記のような記録です。
清潔な環境には住んでいませんし、心美しい私とは言えませんし、爬虫類の楽園のような地域でもありますし、騒々しい日々のドラマの中で私らしさを保つ努力は続けているつもりですが、遠い過去に間違えた私の軌跡を修正できたとも思えません。

清い魂とは、もはやいえそうにありません。

人によっては毒になるかもしれませんから、初めに感じる波動はいけないようでしたら、これ以上は読まないで閉じてください。


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3才の頃に死にかけた私なのですが、あのまま逝っていたなら清い魂のまま帰還できたことでしょう。
母乳を離れてから、それまではリンゴしか食べられない赤児だったようです。
リンゴを洋タンスの中に積んで保存したのだと母が教えてくれました。

5才あたりで、再度死にかけています。
父が、愚かにも海軍時代にロシアのマルクス主義に洗脳されました。戦後の日本で憲兵隊に追われて東京へ出て、自然溢れる東北を去らざる得なく成りました。
それで、後から母と私と弟が上京したのです。

これが、おそらく私の内に共産思想を嫌う原点になっているのです。
父の生き方や日頃の様子、語ることから、子供なりに異常をみてとったのでしょう。
憑かれている人を見る経験をしたわけですね。父は確かにウワバミ/蛇のように酒を飲む人でした。内面に元から変わりなく在る他者を思う心/分け与えの実践は、子供達には与えられませんでした。

他人ばかりを意識した均衡と良識を欠いた父のマルクス主義は家庭人としては失敗なのでしょう。家族から感謝されない、尊敬されない、それは残念なことですが、父の本来の魂は奉仕を喜ぶものです。人が嫌がる汚い仕事も黙々とできる人でした。

ところが、過去の地位ある男性への失恋などを経た運命で、父と結ばれた後、それなりの苦労した母は人並みの成功と安定以上のものを望みました。父の器以上の成功を望んだということになります。それで母が乗り出して事業を推進したのです。

母は共産主義と資本経済成長主義の精神を生きることになりました。それなりに戦中戦後の私的体験と結び合わせて2つの主義を公私共に活かしたようです。

ところが、どちらも蛇の主義なのですね。
角がある爬虫類なら鬼とも言えそうです。
それなりの人間離れしたパワーと呪力と情はあるのです。

母はもう何年ものあいだ、痴呆状態です。身体は健康だということです。
資産は築きました。不思議なことに、現金を1億で建てた小さくても瀟酒なオフイスビルは20年も空きビルのままです。かろうじて一階の1部屋だけが借りてがついてます。

私は密かに『あの頃、路頭に迷っていた私たちを助けていたなら、そのお金は生きた金で使われたかもしれないのに、、、。呪われたビルになったの?』等と生意気にも思いました。

ですが、呪われるというのは、どんな気持ちで何をしたかたが本人に戻り、呪縛となって現象化することも有るとするなら、一階は母の苦労の実りが埋めているが、あとの階については空きビル同然です。つまり、勝手な解釈では『それ以上の家族に寄せる思いと配慮の徳が積めなかった、子孫を真には思うことがなかった、哀しい結果がもたらす長い年数の末にも上へと気持ちが高揚する家族の集いなどを失うことになった。上の空きは痴呆という現象にも出た。生きているあいだに出るなら幸いです。』となります。

ここに、金銭を惜しんで家族を見捨てるなら、その見捨てた家族に気にもかけてもらえないようになるのでしょう。気をつけたいと思います。
ですが、母なりに子供の頃から手をかけた息子には良くしてもらっているようです。
唯一顔を覚えている息子だけに、財産を遺す可能性は十分にあります。

あとは、子供時代に親と共に苦労したり孤独な思いをした他の兄弟姉妹に、どう、その息子が対応するかが問題です。成人しても、実は、その息子が知らないあいだに、母親の相談役や愚痴などの聞き役になっていた他の姉妹がいても、そういうことは功徳や親孝行としては数えられないのとしたら、本当に残念です。
ですが、不動産などいりません。だいいち相続税を払えません。

この時代に活用できるとしたら、私が空きビルを持つとしたら、住むところが無いホームレスに無償で利用してもらう思索をするかもしれません。東北の災害の後なら、被災者受け入れの何かに活用してもらうことも可能です。ですが、東京に住む家族のために、いつでも受け入れできるように用意しておく部屋に整えることもできます。

宇宙神は、私を見ていて、そして私の気持ちや、私の清濁の両方などを、吟味して裁定しているのでしょうか。
私は、どうすれば良いでしょうか。帰国するのが良いのでしょうか。


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明け方の半睡中の夢なのか霊的な挑みなのか、はたまた私内のものなのか、それとも私にとっては招かざるルームメイトの友人が居間で停泊しているせいなのかーー

思い出せば、その停泊者は霊気の施術者でしたーー;カリフォルニアの実家へと還ったはずでしたがーー’......私のルームメイトと気も合うようで、またルームメイトも実は何やら爬虫類人のような目をしています。血を飲むことはありませんが、爬虫類男たちとの性的交わりの名残なのでしょう。狂気の体験は目に残るようですね。

そういうわけで、何度も黒銀色と思えるウロコまでがはっきりと見える蛇が私の半睡状態のさなかに登場してきて、私を見ているのですが、ちょうど眉間のあたりに浮かんでくるので、私の第三の目とあちらの目が合う感じでした。敵意は感じませんでした。

三度は目を開けて、また閉じてでしたから、三度、その蛇を見ています。
とぐろを巻いて顔を立てるようにしていました。舌は出ていませんでした。
静かに見ている感じに思いました。

明け方のことですし、といってもすでに冬空は明るくなっていましたし、太陽は昇っていたと思います。ある写真にあった太陽の中の黒い蛇?

その後わずかが過ぎた時点ですぐに起きました。
停泊者の2人は黒い車で去って行きました。ルームメイトも仕事場へと去りました。


昨夜は、ここを出て倉庫に荷物を預けて、とりあえず帰国を数ヶ月だけでも試みてみようか、、、と考えていました。
家具は持たない分だけ、身軽です。それでもまだ物もちだと思うのです。
今のこの2012年に、1人身で、備蓄食品を加えての普通サイズ/30ケースになろうかという荷は、多過ぎるでしょう。ですが、物価高や品不足が伴う経済破綻からくる不景気には、備蓄物は宝です。
この国なら、そんなことになれば、倉庫から根こそぎ盗まれる可能性もありますが、、、今できることをするしかありません。


眉間に見えた黒銀蛇さまは、知恵の蛇さまだと、そう思うことにしましょうか。


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そうそう、ついでに書いておきます。
前記事に、ヤタのカラスについて<羽翼と持つレピタリアン>と表現しました。
ですが、その配下の、カラス天狗がヤタのカラスとも思えます。

シューメール文明とエジプト文明を思えば、動物や鳥と宇宙人の交配/遺伝子操作の結果である鳥などに変容できる生命体が、やはり日本に流れて来ていたことを想像できます。

それらが妖怪伝説や民話を生み出してきているのではないでしょうか。
日本の歴史上、名だたる方々が、夜には河童に変身していた、、、なんて面白い。


今日はこれまでにします。
また書きたい時に、書かせていただきます。

ありがとうございます。






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