西洋の、ある秘密グループから送られてきた便りにあった数秘術は、10であるなら単に1とみなすことなく、なぜか1を差し引いて9にします。そして、0についての説明をしてありませんでした。6が出たなら1を引いて5にするという具合なのです。
おそらく、正しく情報を開示しないことで人心をコントロールする闇イルミナテイの操作の一環だったと思えます。
ですが、私に湧いた思いはー*ー母の胎内にいる期間を差し引く1なのかもしれない?10だろうと9だろうと、かまわない。全ての数が付随して関与するのだからー*ーというものです。
読書の虫ではなく、体を動かすだけ動かして生きた私自身は、ぶつかった問題を克服する中で成長を目指した人間だったと言えますが、このように椅子に落ち着いてネットで学ぶ内の宇宙軌道に乗っています。。。。おそらく、あとしばらくは、この軌道上です。
曾ヶ端様の御本を薦める姿勢は、勧誘の勧めではないようです。
読んでいまして思うのは、読者の知識増しと情報増しを通して自身を知るー日本を知るー世界を知るー宇宙を知る心世界を濃密にしていける気がいたします。
そして、個人ごとに、体験を通した自覚と概念や常識などにおける古いものと新世界精神となるはずの宇宙のネットワークとの共存共栄を思う道へと入っていける、その道への引導役だと思えるのです。
本日は、1_数秘術に関する記事と
2_『日月神示』で示された”ミロクの世”の形
3_天八降神の復権
4_節分から激しくなりて、激しき神示はかかせんぞ
5_人生は愚者に始まり愚者に終わる
を転載させていただきます。
(3については、素朴な真善美に書かれているように、我々が日頃に思ってきたこと、またあるブログのコメント欄に「くくり点太素」につながるHNにて書いたこと/推測と一致する部分があり、楽しくなりました。)
((共鳴する曾ヶ端様の言葉を拡大しましたが、特に沁みた行の言葉です。))
さて、世にはびこった偽もの欲まみれの霊能先生方は、おそらく絵に描かれた八岐大蛇。。。。やもしれませんね。スサノウ様の中の善と悪なる姿。
悪が八岐大蛇となってスサノウ様の前に立ちはだかった、人民に被害を及ぼしたように、20世紀では蛇霊能先生方が登場してきた。とも考えることが可能です。
それらを退治成敗するスサノウ様は、結局は、自分が蒔いた種を刈り取るために今の世に、どなたかの体を借りて。。。。というのも有り得ます。。。。であるなら、その人がミイラとりのはずがミイラに成らないように、スサノウ様にはしっかりと裁定を下していただきたいものです。
身位等というミイラは、霊主体従にはなれません。欲心が身を捕らえて縛ります。
八岐大蛇とは、八つの荒れた大河であり、治水によって治まった(退治した)と見た方がおられた記憶が。。。。あるのですが。。。。そうだとすれば、国常立大神様の息が乗った方によって成されたことでしょう。人工的な治水工事が果たして地球霊体様にとって最善であったかどうかは、大きな疑問ですが。
人ならば、そういう大自然が動き自由に荒々しく生きる地帯は大自然の意思に御任せして、『ここには住むな!ここを畑にするな!」と、そう仰せつかったと受け止めて、ありがたくあきらめて、そして移動して住む地を決める自在で自由な心向けが重要だと思えて仕方がありません。
余りにも、人心計画の勝手で、世界は地球霊体様を侵害してきたのです。
思えば涙がこぼれます。。。。母なるガイヤは原始の姿に戻りたがっているとのこと。
ごもっともです。全くに同意して、嗚咽とともに感謝しながら、ただ「うんうん」と頷くだけです。
それには、確かに上下がでんぐり返る世界になることが大事です。
インサイド*アウトになる。これについても、あるブログのコメント欄に書きましたが、人の内と外が内の変容を姿として見せるようになるということでもあり、母なる地球の内側の5次元への上昇に伴って、表層もシフト(アセンション)されていくのが道理であるということです。それが原始に戻る希求になっているのが理解できます。
表層は、まずは原始に復元されなければ、もう破壊的な状態であり、人類の進化のためにならないほどであるということやもしれませんし、ガイヤは休息を必要としている、ということは間違いありません。眠らせてさしあげたいです、癒えるまで。
そのためには、死ななければならない私だとしても、私も喜んで肉体をあきらめて眠りにつきます。もう、ほとんど、したいことも保っていたい人間関係も、ありません。
こういう時のために、そうなる人生を生きたという、そんな具合なのでしょう。
合掌ーiー
神一厘の仕組み・探究道 ~神・世界秩序の始まり~
著者・曽ヶ端 賢治による論文 ~龍蛇族ワンダラーの世界~
(銀河系からのメッセージ、古代イスラエル民族の帰還、
日月神示・神一厘の仕組み、ポールシフト、カバラ数秘術、
ホロスコープ、甦るムー神国、アセンションするための宇宙法則)
あなたは何をするために生まれてきたのか?~魂と人生の目的~
2013-02-14
さて、前回の続きです。今生皆さんが生まれてくる前に定めてきた使命、あるいは魂の目的とは、一体どのようなものだったのでしょうか?このことを知っておくと、これからの混迷の時代を生き抜いていく上で、極めて生き易くなるでしょう。ご自身の使命を知る手掛かりの一つとして、「数秘術」を用いるというものがあります。ご好評頂いております以前のブログ記事、「秘法カバラ数秘術であなたの「今生の使命」を知る」の方でも多少言及させて頂きましたが、今回は別の数秘術を使って、あなたの”魂の目的”を考えてみることに致しましょう。
まずは、前回と同じように皆さんの誕生数を算出して頂きます。誕生数の算出方法は、基本的にカバラの時と同じになりますが、多少違うところは、「1」から始まって、「・・・10、11、12」で終わるということです。すなわち、今回の誕生数は、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12」の計12個となるわけです。
例1)1932年10月8日生まれの場合
1+9+3+2+1+0+8=24
2+4=6 (誕生数:6)例2)1973年11月7日生まれの場合
1+9+7+3+1+1+7=29
2+9=11 (誕生数:11)
算出された誕生数が基本数となります。ただし、基本数は以下の「1~0」までとなっておりますので、誕生数が「10」の方は「1と0」を、「11」の方は「1」のみを、「12」の方は「1と2」を、それぞれ参照するようにして下さい。なお、誕生数を算出する前の2ケタの数(上の例では「24」と「29」)に現れた2つの数字も、基本数として参考にできますので、あわせてご覧頂くと、より深く知ることができます。
以下のご自分の基本数をクリックして頂きますと、解説ページが開きますので、そこでご自身の魂の目的を確認してみて下さい。
ただし、ここで解説されている使命が絶対というわけではありません。人生の醍醐味とは、シンクロニシティという手掛かりを基に、自分が生まれる前に定めてきた使命を探り当てていくことにあります。一つの参考程度に留めておくようにしましょう。基本数1:「創造と自信」
基本数2:「協力とバランス」
基本数3:「表現力と感性」
基本数4:「安定とプロセス」
基本数5:「自由と訓練」
基本数6:「理想と受容」
基本数7:「信頼と解放」
基本数8:「豊かさと力」
基本数9:「高潔さと知恵」
基本数0:「霊的素質」
【参考書籍】
ご自身の使命をさらに詳しくお知りになりたい方は・・・
「魂の目的」ソウルナビゲーション―あなたは何をするために生まれてきたのか (2001/08) ダン ミルマン 著 |
『日月神示』で示された”ミロクの世”の形
2013-02-11
先日、読者の方から頂いた”拍手コメント”の中に、以下のようなコメントがありました。日月神示には、10年前に出逢いました!自分自身の気になる事を探索してましたが、最後はいつも日月神示にたどり着きました。最近また、なぜか気になり始めネットを調べていましたら、こちらにたどり着いた次第です!私の探していたものが全てありましたので驚きました!大変詳細に説明されていてよく分かります。感謝です。
このようなコメントを頂き、わたくしの方も『日月神示』をもう一度見直してみたくなり、書籍を開くことになりました。その中で、来るべき”ミロクの世”の形として、以下のような神示が示されておりました。「世界中まるめて神国の一つの王で治めるぞ。それが神の世のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度は永遠に定まるぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと決まって動かん神の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の種に瓜をならすのは悪の仕組み、今の世は皆それでないか。」 (上つ巻・第二十八帖)
「逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな。上にいては足も苦しかろうがな。上下逆さまと申してあるが、これでよく分かるであろう。
足はやはり下の方が気楽ぞ。あたま上でないと逆さに見えて、苦しくて逆さまばかりうつるぞ。この道理わかりたか。岩戸開くとは元の姿に戻すことぞ。神の姿に返すことぞ。」 (下つ巻・第十三帖)
「そなたはいつも自分の役に不足申すくせがあるぞ。そのくせ直して下されよ。長くかかってもよいから、根の音(ね)からの改心結構ぞ。手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ。上下貴賎ないこと、そなたには判ってゐる筈なのに、早う得心して下されよ。」 (月光の巻・第五十五帖)
古代の日本では、社会構造を「カミ(神)、キミ(君)、オミ(臣)、タミ(民)」と捉えてきました。これを真逆に捉えたのが、現代の西洋型民主主義です。すなわち、本来であれば「民」として生きるべき人が、「臣」などを務めているのが現代社会の本質ではないでしょうか?また、人が自然界を支配し、神の上位に位置づける・・・あまりにも傲慢な態度であり、神に対して無礼であると言わざるを得ません。天罰が下ります。これでは世の中は争いばかりで、治まるわけがありませんね。
現在は、いわゆる”多数決の正義”と”学歴至上主義社会”でありますので、リーダーとしての素質がない人でも、見栄だけでリーダーをやっているケースは、意外と多いように思います。
ひどいケースになると、エゴが強く、大きな声で周囲を恫喝できるというだけで、リーダーをやっている方もおられるわけです。(最近、マスコミなどによって明るみに出てきた、学校現場における”体罰という名のいじめ”などは、そのよい例かもしれません。)
明らかに末期症状だったわけですが、『日月神示』に言わせると、このようなケースは「悪の仕組み」であったということです。頭を使うことを得意とする人もいれば、体を使うことを得意とする人もいるわけで、現在の風潮では、体を使うことを得意とする人が、頭を使う職種であるリーダーになっているケースが、ままあるわけです。『日月神示』では、以下のようにも説かれています。「学の鼻高さん何も出来んことになるぞ、今に世界から正真(しょうまつ)が段々判り来て、あわてても間に合はんことになるぞ、今の内に神示よく肚に入れておけよ、この道には色々と神の試(ためし)あるから漫心するとすぐひっくり返るぞ、考へでは判らん、素直結構ぞ。
日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物 間違へるでないぞ、食い過ぎるから足らんことになるのざぞ、いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、慢心取違ひ致すなよ、代へ身魂いくらでもあるぞ。学問の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ、商売の世も済みたから商売人も閉口するぞ、力仕事は出来んし、共喰するより他に道ないと申す人民許りになるぞ、今迄とはさっぱり物事変るから今迄のやり方 考え方 変へて呉れよ、神示通りに行へば其の日その時から嬉し嬉しざぞ、此処は落した上にも落しておくから、世の中の偉い人には中々見当とれんから、身魂の因縁ある人には成程なあと直ぐ心で判るのぢゃぞ、九の花咲けば皆よくなるのぞ、九の花中々ぞ。」 (『日月神示』空の巻・第十二帖帖)
私見ではありますが、以下にリーダーとしての資質を挙げてみたいと思います。・心の清さ(愛と慈悲、誠実な心)
・備わった人徳
・長期的視野に基づいた先見性・本質を見抜く洞察力
・正しい直感力と判断力
・カリスマ性
・奇跡を起こす力(神力)・・・
これらの資質は、いずれもペーパーテストでは計れないものばかりですね。あるいは行き過ぎた競争社会と学歴社会が、日本を崩壊に追い込んだと言っても過言ではないかもしれません。 (なお、これからの時代はお互い”競争”ではなく、”切磋琢磨”が正しい生き方と言えそうです。)人の価値を、学歴と年収だけで決めようとする人が多い世の中ですが、極めて”愚かな輩”であると言わざるをえません。自分らしい生き方ができている人は輝いています。「人類、皆平等」の本質とは、「命に貴賎なし」ということに他ならないのです。
しかし、偉大なリーダーを欲するならば、皆が偉大な国民にならなければなりません。そのための手掛かりとして、ご自分の天命を知っておくというのは、とても大切なことです。皆さんの今生生まれてきた使命、あるいは魂の目的とは、どのようなものだったのでしょうか?このことを知っておくと、これからの混迷の時代を生き抜く上で、極めて生き易くもなるのです。
最終的には、「他の人からの頼まれ事」や、自分の中に湧き上がる「ワクワク」を追究した生き方が天命につながっていくわけですが、それ以外にもご自身の使命を知る手掛かりの一つとして、「数秘術」を用いるというものがあります。・・・今回は時間が来てしまいましたので、この続きは次回に譲ると致しましょう。
【参考書籍】
完訳 日月神示 (2011/05/02) 岡本 天明 著 |
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- ムとウの統合に必要なもの (09/03)
- なぜこの世に「悪」が存在するのか? (04/09)
- 人を裁いてはならず (04/08)
天八降神の復権2013-02-08
ここで、”八つの方向へ放たれた光”という部分に着目して下さい。この”八”という数字は”出雲族”を象徴する数字であるとも言われています。一例を挙げますと・・・
まず、三種の神器には、すべて”八”が含まれております。
・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
・八咫鏡(やたのかがみ)
・八重垣剣(やえがきのつるぎ(ホツマツタエ)、
『記紀』では天叢雲剣)
あるいは・・・・スサノオの和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
・八百万の神(やおよろずのかみ)
・八紘一宇(はっこういちう、「天下を一つの屋根のように治める」の意、神武天皇のお言葉)
・八岐大蛇(やまたのおろち、古志八岐大蛇とも。北陸方面へ上陸した古志(越)の民のことか?)
・八幡神(源氏の氏神) ・・・
なお、出雲が存在した正式な場所については諸説あり、『記紀』によって創られた「山陰説」以外にも、「東海説(諏訪含む)」や「熊野説」などがあります。(この件につきましては、いずれ考察させて頂く予定です。)
また、”八”という数字には、一般的に「沢山の、無限の」という意味が含まれているようです。
しかし、出雲以前では、『旧約聖書』の神「ヤハウェ」の
”ヤ”であった可能性もあります。
ヘブライ語で”ヤー”とは、”神”を表します。
ここで、”八つの方向”で思い出すのが、
『ホツマツタエ』の「天地創造神話」のくだりです。
「はるかな昔、天地(宇宙)が初めて生成された時、その限りない混沌の中に、一つの兆しとも言えるものが現れた。つまり陰陽二分の兆しである。陽は天となり、太陽ができた。陰は大地となり、そして月ができた。その天地の中間に、ひとりの神が出現した。それが国常立尊である。」 (第二章「天七代・床酒章」より)
根源神を”国常立尊(くにとこたちのみこと)”としているのは、『日本書紀』や王仁聖師の『霊界物語』などとも同じです。一方、『古事記』では、根源神を”天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)”としています。
これは恐らくですが、出雲族(国津神)系の根源神が”国常立尊”であり、日向族(天津神)系の根源神が”天御中主神”としているのではないでしょうか?ということは、『ホツマツタエ』は出雲族(国津神)系の古典書であると言うことができると思います。
さて、この「天地創造神話」には続きがあります。「国常立尊には八人の御子がいた。国常立尊は、この八神を世界の八地域にそれぞれ天降らせた。これを天八降神(あめのやくだりがみ)という。そして、この八降神の名は、どれも国狭槌尊(くにさつちのみこと)という。」
”ムー王朝の紋章の八つの光”や、神武天皇の”八紘一宇”ともシンクロしてくる内容です。
『ホツマツタエ』の天地創造神話に登場してくる天八降神は、世界に派遣された際に、中東では”ヤハウェ”と呼ばれ、日本に戻って来た際に、”八幡神”と呼ばれた可能性があります。「天八降神 ⇒ ヤハウェ ⇒ 八幡神」
なお、九州・宇佐地方にある、八幡神社の総本山・宇佐八幡宮に原始八幡神を祀った辛島氏は、その始祖をスサノオとしています。この氏族も大陸から入植してきたことが判明しています。さらにこの地方は、かつての秦氏の一大拠点であったことも判明しています。八幡(ヤハタ)を「ヤ」と「ハタ(秦)」に分けると、その由来が見えてくるのかもしれません。
ここで、秦氏について少し考察してみましょう。秦氏はかつて古代の日本に渡来してきて、当時の日本人にあらゆる技術を教えました。高度な土木・建築技術、あるいは養蚕・機織りの技術などです。さらには仏教などの宇宙哲学も広めました。古代日本文明の礎(いしずえ)を築いたと言っても過言ではありません。
もちろん、古代の王都である平安京を建造したのも秦氏です。江戸の城下町を建造したのも秦氏の末裔でしょう。これらはいずれも、品格が漂う芸術的な建物と街並みだったと言って良さそうです。
こちらは平安神宮と平安京の復元図です。平安京は自然と調和した美しい都だったんですね。
ちなみに、聖徳太子のブレーンとして知られる秦氏の首長・秦河勝には、三人の子供がいたとされています。そのうちの一人には武芸を教え、一人には猿楽を教え、一人には雅楽を教えたと言われています。この中で、武芸を教えられた者が、その後の島津氏や長宗我部氏(あるいは源氏?)などの祖となり、猿楽を教えられた者が、歌舞伎や能(観阿弥・世阿弥親子)の祖となり、雅楽を教えられた者が、現在の東儀家などの祖となっていったとする説があります。この秦河勝は、晩年は政争に敗れて流罪となり、無念の晩年を送ったとも言われています。
【秦河勝】
さて、天八降神の話に戻りましょう。八柱の天八降神(国狭槌尊)たちには、以下の名前があったとされています。
・トノクニサツチノミコト
・ホノクニサツチノミコト
・カノクニサツチノミコト
・ミノクニサツチノミコト
・エノクニサツチノミコト
・ヒノクニサツチノミコト
・タノクニサツチノミコト
・メノクニサツチノミコト
八柱の神のそれぞれの頭文字を読んでみましょう。「トホカミエヒタメ」となりますね。この言霊こそが、古神道より受け継がれている秘伝の言霊「トホカミエミタメ」の真実だったのではないでしょうか? 私たちが日々「トホカミエヒタメ」を唱えることによって、かつての天八降神たちが復権できると考えております。
こちらはスサノオと対決する八岐大蛇です。この対決の真実は、
「スサノオ自身のシャドー(心の闇)の投影が、
八岐大蛇である」ということだったように思います。
よって、八岐大蛇を悪神に見立てる心根とは、
未だ己の中で善悪が統合できていない、
エゴ中心の心であると言わざるを得ないということです。
現在はまだ”体主霊従”中心の「二元論」の世界観ではありますが、私たちが日々、自分の中で善悪を統合できるよう精進し、心の中に潜むシャドーを消滅させることができれば、これから本格的な”霊主体従時代”へと移行することができるのです。
P.S.
先日、NASAが公開した小惑星”DA14”の地球接近の日のシミュレーション動画です。
NASAの発表によると、小惑星が今月18日に最接近するそうですが、地球への衝突はないとのことでした。
とりあえず一安心です。まずはご報告まで。
まず、三種の神器には、すべて”八”が含まれております。
・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
・八咫鏡(やたのかがみ)
・八重垣剣(やえがきのつるぎ(ホツマツタエ)、
『記紀』では天叢雲剣)
あるいは・・・・スサノオの和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
・八百万の神(やおよろずのかみ)
・八紘一宇(はっこういちう、「天下を一つの屋根のように治める」の意、神武天皇のお言葉)
・八岐大蛇(やまたのおろち、古志八岐大蛇とも。北陸方面へ上陸した古志(越)の民のことか?)
・八幡神(源氏の氏神) ・・・
なお、出雲が存在した正式な場所については諸説あり、『記紀』によって創られた「山陰説」以外にも、「東海説(諏訪含む)」や「熊野説」などがあります。(この件につきましては、いずれ考察させて頂く予定です。)
また、”八”という数字には、一般的に「沢山の、無限の」という意味が含まれているようです。
しかし、出雲以前では、『旧約聖書』の神「ヤハウェ」の
”ヤ”であった可能性もあります。
ヘブライ語で”ヤー”とは、”神”を表します。
ここで、”八つの方向”で思い出すのが、
『ホツマツタエ』の「天地創造神話」のくだりです。
「はるかな昔、天地(宇宙)が初めて生成された時、その限りない混沌の中に、一つの兆しとも言えるものが現れた。つまり陰陽二分の兆しである。陽は天となり、太陽ができた。陰は大地となり、そして月ができた。その天地の中間に、ひとりの神が出現した。それが国常立尊である。」 (第二章「天七代・床酒章」より)
根源神を”国常立尊(くにとこたちのみこと)”としているのは、『日本書紀』や王仁聖師の『霊界物語』などとも同じです。一方、『古事記』では、根源神を”天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)”としています。
これは恐らくですが、出雲族(国津神)系の根源神が”国常立尊”であり、日向族(天津神)系の根源神が”天御中主神”としているのではないでしょうか?ということは、『ホツマツタエ』は出雲族(国津神)系の古典書であると言うことができると思います。
さて、この「天地創造神話」には続きがあります。「国常立尊には八人の御子がいた。国常立尊は、この八神を世界の八地域にそれぞれ天降らせた。これを天八降神(あめのやくだりがみ)という。そして、この八降神の名は、どれも国狭槌尊(くにさつちのみこと)という。」
”ムー王朝の紋章の八つの光”や、神武天皇の”八紘一宇”ともシンクロしてくる内容です。
『ホツマツタエ』の天地創造神話に登場してくる天八降神は、世界に派遣された際に、中東では”ヤハウェ”と呼ばれ、日本に戻って来た際に、”八幡神”と呼ばれた可能性があります。「天八降神 ⇒ ヤハウェ ⇒ 八幡神」
なお、九州・宇佐地方にある、八幡神社の総本山・宇佐八幡宮に原始八幡神を祀った辛島氏は、その始祖をスサノオとしています。この氏族も大陸から入植してきたことが判明しています。さらにこの地方は、かつての秦氏の一大拠点であったことも判明しています。八幡(ヤハタ)を「ヤ」と「ハタ(秦)」に分けると、その由来が見えてくるのかもしれません。
ここで、秦氏について少し考察してみましょう。秦氏はかつて古代の日本に渡来してきて、当時の日本人にあらゆる技術を教えました。高度な土木・建築技術、あるいは養蚕・機織りの技術などです。さらには仏教などの宇宙哲学も広めました。古代日本文明の礎(いしずえ)を築いたと言っても過言ではありません。
もちろん、古代の王都である平安京を建造したのも秦氏です。江戸の城下町を建造したのも秦氏の末裔でしょう。これらはいずれも、品格が漂う芸術的な建物と街並みだったと言って良さそうです。
こちらは平安神宮と平安京の復元図です。平安京は自然と調和した美しい都だったんですね。
ちなみに、聖徳太子のブレーンとして知られる秦氏の首長・秦河勝には、三人の子供がいたとされています。そのうちの一人には武芸を教え、一人には猿楽を教え、一人には雅楽を教えたと言われています。この中で、武芸を教えられた者が、その後の島津氏や長宗我部氏(あるいは源氏?)などの祖となり、猿楽を教えられた者が、歌舞伎や能(観阿弥・世阿弥親子)の祖となり、雅楽を教えられた者が、現在の東儀家などの祖となっていったとする説があります。この秦河勝は、晩年は政争に敗れて流罪となり、無念の晩年を送ったとも言われています。
【秦河勝】
さて、天八降神の話に戻りましょう。八柱の天八降神(国狭槌尊)たちには、以下の名前があったとされています。
・トノクニサツチノミコト
・ホノクニサツチノミコト
・カノクニサツチノミコト
・ミノクニサツチノミコト
・エノクニサツチノミコト
・ヒノクニサツチノミコト
・タノクニサツチノミコト
・メノクニサツチノミコト
八柱の神のそれぞれの頭文字を読んでみましょう。「トホカミエヒタメ」となりますね。この言霊こそが、古神道より受け継がれている秘伝の言霊「トホカミエミタメ」の真実だったのではないでしょうか? 私たちが日々「トホカミエヒタメ」を唱えることによって、かつての天八降神たちが復権できると考えております。
こちらはスサノオと対決する八岐大蛇です。この対決の真実は、
「スサノオ自身のシャドー(心の闇)の投影が、
八岐大蛇である」ということだったように思います。
よって、八岐大蛇を悪神に見立てる心根とは、
未だ己の中で善悪が統合できていない、
エゴ中心の心であると言わざるを得ないということです。
現在はまだ”体主霊従”中心の「二元論」の世界観ではありますが、私たちが日々、自分の中で善悪を統合できるよう精進し、心の中に潜むシャドーを消滅させることができれば、これから本格的な”霊主体従時代”へと移行することができるのです。
P.S.
先日、NASAが公開した小惑星”DA14”の地球接近の日のシミュレーション動画です。
NASAの発表によると、小惑星が今月18日に最接近するそうですが、地球への衝突はないとのことでした。
とりあえず一安心です。まずはご報告まで。
節分から激しくなりて、激しき神示はかかせんぞ
2013-02-04
「人間が堕落した時は、自然なる母は、その覚醒を促すために、諸々の災害を下し給うのである。しかも、地震はその最たるものである。我が国に地震が多いのも、神の寵児なるが故である。天神地祇の恩寵を被ることの多いだけ、その恩寵に背いた時の懲罰は、一層激しい道理である。」 (出口王仁三郎 著『惟神の道』)さて、今年も節分が終わり、本日は立春を迎えております。ここで、節分に関する『日月神示』の預言をいくつかご紹介してみましょう。
「元の大和魂にかへれと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、神に心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキの魂にかへらんとならんのぞ、かんじんの神示むやみに見せるではないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、みみから知らすから、肚から肚へと伝へて呉れよ。節分から激しくなりて、激しき神示はかかせんぞ。」 (磐戸の巻・第21帖)
「ひふみゆらゆらと一回二回となえまつれよ、蘇るぞ。次に人は道真ん中にして”ワ”となり、皆の者集まりてお互いに拝み、神にまつりまつり結構ぞ、節分からでよいぞ。
このお道の導きの親尊べよ、どんな事あっても上に立てねばならんぞ、順乱しては神の働きないと申してあろうがな。直会(なほらい)には神の座、上につくらなならんのざぞ、神人共にと申してあろうがな、順正しく礼儀正しく神にも人にも仕えまつれよ。束ねの神は、束ねの人は後からぢゃ、後から出るぞ。」 (空の巻・第2帖)
本日、宇宙から3600年ぶりに「新しい神々」が地上に舞い降りてきました。今度の神は、慈悲と峻厳を併せ持った神々です。よって、今までのような偽善が通用した甘い時代は、本日をもって終焉を迎えました。淘汰の時代の始まりです。
まだ改心できていないという方がおられましたら、お急ぎ下さい。まだ最終便に間に合うかもしれません。あるいは、大難が小難になるかもしれません。怒りや恐れ、無知なる心を改めて下さい。そして、魂を光輝かせて下さい。エゴを捨て、あなたの全てを神に委ね、神の器として生きて下さい。
素直な心で、神に感謝の祈りを捧げて下さい。創造主の象徴としての太陽神に感謝して、毎朝手を合わせて下さい。自然界に感謝して下さい。その日その時から、あなたの魂に光が差し込み始めるでしょう。
富士が動き始めたら、終わりの合図です。あなたの魂が光輝いてないと、あなたを助けようとしている宇宙人が、あなたを見つけ出すことができないのです・・・
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人生は愚者に始まり愚者に終わる
2013-02-02
西洋の占いで使われる”タロットカード”ですが、22枚の大アルカナカードのうち、一番初めに来るカードが、No.0の”愚者(Fool)”であります。
(『アルケミア・タロット』より)
一般的には”愚者”と聞くと、あまりいいイメージを持たれないかもしれませんが、このカードが示すところは、単なる”愚か者”ではありません。愚者とは、けがれを知らない純粋な存在であり、ときに非凡な才能を発揮して、人の想像もつかないことを成し遂げる人の象徴なのです。
『アルケミア・タロット』の解説書には、以下のように記されております。
「愚者」
新たな旅の始まり・・・まだ見ぬ新天地を求めて、まさに一歩を踏み出さんという姿を表すこのカードは、無限の可能性と、未知への探求心、逃避願望など、さまざまな背景でも”旅立ち”を暗示しています。
足元は軽やかなれど、行く手にはさまざまな危険や障害が潜んでいるかもしれません。元々このカードには番号は振られておらず、トランプのジョーカーの原型になったとも言われています。
ジョーカーはオールマイティーであり、どう変化するか分からない、時に最強であり、時に最低にもなりうるカード。番号の”0”は無を意味し、一切の現象が生じては消滅する、始まりであり終わりでもあるのです。
旅人がどこに向かおうとしているかは、まだ分かりません。大切なのは、外側に求めるのではなく、内なる心の声に従うことです。
純真無垢な状態であり、すべての創造の種を内在した、
”空(くう)”のひとときを表すカードです。
”無”であり、”始めであり、終わりである”・・・深いですね。
”無”であり、”始めであり、終わりである”・・・深いですね。
いわば、生まれて間もない”幼子(おさなご)”の
状態あり、あるいは、
人生の最終目標の形であるとも言えそうです。
先日ご紹介しました「十牛図」の第10図に登場する”布袋和尚”の状態でもあります。
先日ご紹介しました「十牛図」の第10図に登場する”布袋和尚”の状態でもあります。
私たちは、永遠に生まれ変わり、
死に変わりながら、
最終的にはこの”愚者”の境涯を探し求めて、
修養を続けている存在なのです。
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