ー*ー大好きになりました。
洪正幸さんの言葉のはしはし、隅々から、あふれています。何が?
読んでみてくださいなー*ー
わたしは清めの涙を流しながらーiーただただ合掌します
本当にありがとうー*ーこの御縁に心の底の底から感謝いたします
平凡な私の人生が、ある誕生日を境にして不思議なことが起こり始めて変わっていきました
小学校の頃、自分は別な世界から今の肉体に入れられて送り込まれたのではないかと思っていました
頭の中にビジョンが浮かんでいたのですが、そこは科学技術が発達し、幸せと光に包まれた星の、宇宙船の中のような景色でした
そこで眠らされるようにカプセルの中に横たわると、人間の身体の中に魂が入るのです
そうやって送り込まれたのではないかと考えていました
そして、目覚めると今自分がこの肉体を持ってこの世界に在るのが不思議でした
現実の世界は暗く、野卑で、不幸に満ちているように思われ、「あちらの光の溢れる世界に帰りたい。自分はいつになったら帰れるのだろうか?」そんな変わったことを考える子供時代でした
元来た世界に郷愁があり、現実の世界に馴染めず、自分は異邦人なんだという意識が強かったのでしょう
内面から浮かんでくるビジョンに没頭したり、生き物や化学反応に興味を示して観察しているのが好きな子供時代でした
化学反応というのは、いろんな物を掛け合わせて効果をみることで、たとえば、塩素系の洗剤と酸素系洗剤を合わせると有害なガス(塩素ガス)が発生することはいまでは良く知られていますが、私の子供の頃は広く知られてはいませんでしたが、いろいろな実験によって殺虫剤をかけてもすぐには死なないゴキブリでさえ瞬殺することをわかりました
また、水と油は混ざり合わないことは知られていますけど、洗剤などの界面活性作用のあるものを一緒にすると混ざり合う事も小学校の頃に自分の実験で知っていました
ですが学校の授業には関心を持てずに、勉強は出来ない生徒でした
高校に入ってから本を多読するようになりました
おもに思想関係の書物を読み、疑問への答えを求めて読んでいたといえます
一番の疑問は世界はどのように成り立っているのか、大宇宙を含む世界の真理をしりたい、そして自分はなぜ生まれてきたのか、ということでした
仏教やインド哲学や聖書も読みましたし、おもに哲学書も読んでいました
高校で遠足にいってもみんながはしゃいでいる側でひとりで西田幾多郎の「善の研究」を読んでいるような人でした
ですが、求めても得られない苦しみがありました
いくら読んでもなかなか完全に納得いかなかったです
そうした学生時代でしたので周りの人ともうまくかみ合わず、すこし浮いているところがあったかと思います
周りの人がそうしたことに疑問を抱かずに、別なことに関心を抱いて生きているのを見て、自分がおかしいのだろうかとも思いました
社会人になってからも周りの人たちとの異質さに戸惑いと困惑はつづきました
そして、自分はこの世界に不必要な存在ではないのだろうかと思い悩むようになりました
家族や周りの人々の生活の中で自分が輪の中に加わっていることで周囲に不幸を撒き散らしているのではないのか
もともと生まれてきたことが間違いで、できれば消え去りたい、せめて気にかかれないように密やかに暮らしたいと思うにいたりました
自分の存在が周りの人を苦しめる結果になることは、自分自身が苦しみを受けることよりも耐え難いことのように感じられました
子供の頃から内向的で、内面世界に没頭する習癖があったため、父親からは覇気の無い駄目な子と見えたのでしょう。否定的な言葉を多く聴かされていました、褒められたことは一度もありません
学校でも勉強が出来なかったため、先生からも好まれず、よく叱られてだめな子だという自己認識を日々させられていたので、そうしたことも影響して自己否定の思いが強くなったのだと思います
そしていっそのこと、自分は世界から消え去るべきかという思いが頭を過ぎったことがあります
そんなある日のこと、部屋にいるとパチッ、パチッという音が鳴っていて、はじめは書棚付近だったので棚がずれて鳴ったのだなと思っていましたが、どうやら音源は移動しているようで、今度は天井からなり始めました
電気がショートしているのか、それとも家鳴りがしているのかと思い、それにしても次々に音源が動いているようで不思議になりました
次第に音は頻繁になり、ついにはコンサート終わりの鳴り止まぬ拍手のように鳴り響きだしました
その時は特に怖さも感じずに変わったことがあるなと思いながら横になりましたが、気づいてみるとその日は私の誕生日でした
今まで霊的な経験の無かった自分としてははじめての経験でしたが、それが自分の誕生日に起こったことが何を意味しているのかはわかりませんでした
それから数日たち、内省的になっていた自分に、まるで稲妻が脳天に直撃したかのようにひとつの考えが天から落ちてきました
自分の思考そのものが外界の出来事を引き付け、作り出している
それは仏教の唯識学派でも言われていることで、別段、目新しいことでもなく、自分も知識としては知っていたことなのですが、そのときはまるでグチャグチャになったジグソーパズルが一瞬にして頭の中でハマルように認識の視野が広がった感じがしました
知識として知っていることと、体感し、ほんとうに理解することとは別なのでしょう
そしてなんともいえない幸福感に満たされました
まるで今まで深海の重い水圧のかかっていた意識が、急に海面に飛び出して一気に開放されるかのようでした
窓を出て外の景色を眺めると、いままで目に膜が張られて薄暗くしか見えなかった世界が、本来の輝きを取り戻したように煌いて見え、愛の波動が共鳴し合い響きあっているのを感じました
それから何故自分は周りの人を不幸せにしてしまうのではという思が強いのだろうかと内観して考えているとひとつのビジョンが浮かびました
西洋人風のいでたちの男性で丘の上の草むらに座って眼下の町並みを見下ろしている風景です
それはなぜかとても寂しい気持ちを湧き立たせました
何故だろうか?そう思いさらに探っていくとこのような感じでした
その男性は霊的能力を持っていて、何か秘儀にあたる教えを継承しているようでした。そしてお弟子さんたちがいて彼らを霊的な真実に導ていたのですが、当時流行っていた宗教により弾圧されてしまいました
自分自身が迫害され苦しむことは享受できるのですが、愛するお弟子さんたちが自分のせいで苦しまなければならない
そのことに耐えられなくなった彼は教えるのをやめて、ひっそりと誰の目にもつかないところへといってしまうのでした
これは自分の前世なのだろうか?それなら今世の自分が、周りを不幸せにしてしまうことを気に病んで苦しんでいる状況と、人とのかかわりを避ける傾向の意味がわかります
ですが、出来すぎている感じがして、これはきっと頭の中で勝手に今の状況を考え合わせて作り出した物語ではないか?っと考えました
そこで自分の見えたビジョンが本当かどうかを知るため、前世を見れるとする占い師をネットで調べてみてもらいました
七人ほどの占い師さんに見ていただいて、結果はというと・・・・・・残念ながらみなバラバラで今世の自分からしてとてもそんな前世ではないように思えることばかりでした
ただ、中世の貴族の関係の前世話は何人か共通しているといえばそうなのですが、これはただ、日本人が中世ヨーロッパの貴族といえば喜ぶからという理由からたまたま重なったのだと思います
やはり前世というのは脳内で作られた物語なのかなと諦めかけた時に、ネットで見かけた前世を見られる方の感想を読んでみると、どうもリアリティがあって本当に見えてるのだろうかと思えたので駄目もとで試してみることにしました
電話で名前を告げて前世の話を聞きました。すると、その方は自分の見た前世と同じものを話し出しました
多くのお弟子さんに囲まれていましたが、弾圧にあってつぶされ、本人は故郷を出て行ったこと。家族や愛する弟子たちと離れ離れになっていった
そして自分にとって衝撃的な言葉をその人は言いました「自分が苦しむより、愛する人が苦しむ姿を見ているのがずっと辛かったですね」
その言葉を聴いてから何故か胸の奥から悲しみがこみ上げてきました。電話を切ってから涙が流れ続け、数時間ベッドのなかで泣き続けました
こんなに泣き続けたことは無く、心の奥底に潜んでいたブロックが浮上してきて開放されていく体験でした
その頃から、自分の前世だけではなく、目をつぶってリラックスしていると、他の人の前世らしきビジョンが浮かんできていました
たとえば、ある方を見て、巫女をしていて身ごもってしまい、それが発覚して相手の男性と引き離され、子供も取り上げられたビジョンが見えました
それをお伝えすると、実は子供の頃から子供が出来ることと結婚することに何故か言い知れぬ恐怖心を感じているとのことでした
おそらく前世からの経験が影響して何故か知らない恐怖心となって今世に出てきたのでしょう
それをご自身が知ることによって恐怖心は薄らいでいったとのことでした
また別な例では、仰向けに高所から落下して背中を強打するビジョンが見え、それを伝えた方は、高所恐怖症でそれも普通は下を見て恐怖を感じると思いますが、その方は何故か空を見上げると恐怖がつのるとのことでした
仰向けに落ちていくことで空を見上げているのでそうした恐怖心が沸いたのではと思います
他にも洪水に見舞われた方の場合は水恐怖症だったという場合もあります
そうした偶然の確率では起こり得ないような意味のある符合を経験するにつれて、前世は実在するのではないか、人間は生まれ変わり死に変わり輪廻を繰り返し、魂の課題をクリアーしていくためにまた生まれてくる存在なのだと確信するようになりました
いろんな方の前世を拝見していくと、この地球上の人間だけではなく、別の惑星からこの地球へと転生している人々もいることを知りました
この地球に生きている人間だけではなく、宇宙にはさまざまな知的生命体が存在しており、しかも宇宙の記憶を失って、地球人として学びをしている人たちもいます
私が子供に頃に感じた違和感、地球より高度な惑星より来たという思いは、単に幻想のみではなく、実際の出来事だったのかもしれません
また、前世が見える以外にも、見えない存在からインスピレーションを受けるようにもなりました
その一部はブログでもスピリチュアルメッセージとして配信しています
よろしければ一度読まれてみてください
文章に表されるようなメッセージだけでなく、象徴的なビジョンを見ることがあります
印象に残った二つのビジョンを紹介いたします
ひとつは、まだ自分自身を責めている時期で、己を許せないころのことです
ある修道士らしき人が熱心に祈りを捧げていました
どうやらその修道士が自分のようなのですが、その前に光り輝くイエス・キリストが姿を現します
そして修道士にむかって「あなたは何故私を受け入れないのか?」と質問します
熱心な修道士は驚いて「私はあなたを受け入れます」と答えます
するとイエス様は「だれでも、自分自身を受け入れないものは、私をも受け入れないものである」っと伝えました
このビジョンの意味するところは、過度に自分を責めて自分を許せないというのは、自分自身の内にある神性や仏性を信じられず、認めないことと同じだという意味なのだと思います
それを伝えるためにビジョンを見せられたのでした
もうひとつのビジョンも自分は世の中のお役に立てていない。いまだにお荷物のような存在だと思っていたときに見たビジョンです
今度はお釈迦様とそのお弟子さんです
お弟子さんが病気になり、誰も看病してくれないなどの不満を言っているところにお釈迦様が訪れます
そこでお釈迦様は不満を言う弟子に「あなたは人のことを言っているが、あなた自身は健康であったころ一度でも病人を看病したことがあるか」と問います
お弟子さんは返す言葉がなくなり絶句しました
このビジョンの意味するところは、自分のことばかり考えて悩んでいるけれど、人に何をしてあげられるか、悩んでいる間に人に良いことが出来るのではないか、自分を責めて悩んでいることも実はエゴであり、発想を転換してこれから周りの人を幸せに貢献できることをしていくべきなのだ。そうしたことを教えるビジョンでした
これからは自分に出来ることで世の中に役立てられればと決意しました
日本では物質はたくさん溢れ文明が発達していますが、霊的真実には目を背けていたのではないでしょうか
目に見えて手で触れる物であれば誰だってそれを指し示せるでしょう
目に見えないスピリチュアルな物事を語っても、その存在を証明することは出来ません
残念ながら私が述べる霊的な出来事が事実であると証明するすべはありません
ですが、愛というものもそれを取り出してみんなの前に見せることは出来なくとも、それはとても大切なものだと人間は誰から教わらなくとも知っています
誰もがその存在の証明をできないのに、私たちは愛を感じ取り、確かに存在すると知ります
手にとって目の前に指し示すことは出来ませんが、それでも、私の言葉に何らかの光の一片でもあるならば、人は愛の存在をハートで感じ取れるように、誰かのハートに言葉が届くことを願って書き綴ります
本来人に意見を言ったり、思いを伝えることを避けて、嫌っていた自分がこのブログを立ち上げたのも、自身の経験やメッセージが、読んでいる方に少しでもお役に立てるならと考えてのことです
私には夢があります。すべての人が霊的真実に目覚め、魂は永遠に存在し、魂の課題をクリアーするために再び地上へと舞い降りる存在であることを知り、個々の魂の尊さと喜びとを知っていただきたいです
現在の文化や社会、政治と経済のシステムそのものにも問題が山積しているように思います。ですので、新たな社会のあり方や、政治経済問題にも言及していきますが、社会システムそのものの変革を望みます
思想や文明論も語っていきますが、より深い真理と英知を獲得し、物事の本質と隠された真実を伝えたいと願います
大きすぎる夢に対して、私の力は小さなものかもしれませんが、蒔かれた小さな種はいつの日か芽を出し、成長することを夢見ています
そして、多くの人が霊的真実に目覚め、私が味わったのと同じような幸福感に満たされる経験をされることを願います
以上、長々と自己紹介をお読みいただきありがとうございます
このようにして霊的な出来事とは縁の無い人生を生きてきたと思っていた私が、誕生日を境にして不思議な出来事に遭遇していく人生へと切り替わっていきました
ちなみにブログタイトルにもいれている「宇宙の兄弟たちへ」はインスピレーションを受けて書いた上記の記事からつけました
洪正幸さんの言葉のはしはし、隅々から、あふれています。何が?
読んでみてくださいなー*ー
わたしは清めの涙を流しながらーiーただただ合掌します
本当にありがとうー*ーこの御縁に心の底の底から感謝いたします
宇宙の兄弟たちへ@スピリチュアルブログ
はじめに・自己紹介
平凡な私の人生が、ある誕生日を境にして不思議なことが起こり始めて変わっていきました
小学校の頃、自分は別な世界から今の肉体に入れられて送り込まれたのではないかと思っていました
頭の中にビジョンが浮かんでいたのですが、そこは科学技術が発達し、幸せと光に包まれた星の、宇宙船の中のような景色でした
そこで眠らされるようにカプセルの中に横たわると、人間の身体の中に魂が入るのです
そうやって送り込まれたのではないかと考えていました
そして、目覚めると今自分がこの肉体を持ってこの世界に在るのが不思議でした
現実の世界は暗く、野卑で、不幸に満ちているように思われ、「あちらの光の溢れる世界に帰りたい。自分はいつになったら帰れるのだろうか?」そんな変わったことを考える子供時代でした
元来た世界に郷愁があり、現実の世界に馴染めず、自分は異邦人なんだという意識が強かったのでしょう
内面から浮かんでくるビジョンに没頭したり、生き物や化学反応に興味を示して観察しているのが好きな子供時代でした
化学反応というのは、いろんな物を掛け合わせて効果をみることで、たとえば、塩素系の洗剤と酸素系洗剤を合わせると有害なガス(塩素ガス)が発生することはいまでは良く知られていますが、私の子供の頃は広く知られてはいませんでしたが、いろいろな実験によって殺虫剤をかけてもすぐには死なないゴキブリでさえ瞬殺することをわかりました
また、水と油は混ざり合わないことは知られていますけど、洗剤などの界面活性作用のあるものを一緒にすると混ざり合う事も小学校の頃に自分の実験で知っていました
ですが学校の授業には関心を持てずに、勉強は出来ない生徒でした
高校に入ってから本を多読するようになりました
おもに思想関係の書物を読み、疑問への答えを求めて読んでいたといえます
一番の疑問は世界はどのように成り立っているのか、大宇宙を含む世界の真理をしりたい、そして自分はなぜ生まれてきたのか、ということでした
仏教やインド哲学や聖書も読みましたし、おもに哲学書も読んでいました
高校で遠足にいってもみんながはしゃいでいる側でひとりで西田幾多郎の「善の研究」を読んでいるような人でした
ですが、求めても得られない苦しみがありました
いくら読んでもなかなか完全に納得いかなかったです
そうした学生時代でしたので周りの人ともうまくかみ合わず、すこし浮いているところがあったかと思います
周りの人がそうしたことに疑問を抱かずに、別なことに関心を抱いて生きているのを見て、自分がおかしいのだろうかとも思いました
社会人になってからも周りの人たちとの異質さに戸惑いと困惑はつづきました
そして、自分はこの世界に不必要な存在ではないのだろうかと思い悩むようになりました
家族や周りの人々の生活の中で自分が輪の中に加わっていることで周囲に不幸を撒き散らしているのではないのか
もともと生まれてきたことが間違いで、できれば消え去りたい、せめて気にかかれないように密やかに暮らしたいと思うにいたりました
自分の存在が周りの人を苦しめる結果になることは、自分自身が苦しみを受けることよりも耐え難いことのように感じられました
子供の頃から内向的で、内面世界に没頭する習癖があったため、父親からは覇気の無い駄目な子と見えたのでしょう。否定的な言葉を多く聴かされていました、褒められたことは一度もありません
学校でも勉強が出来なかったため、先生からも好まれず、よく叱られてだめな子だという自己認識を日々させられていたので、そうしたことも影響して自己否定の思いが強くなったのだと思います
そしていっそのこと、自分は世界から消え去るべきかという思いが頭を過ぎったことがあります
そんなある日のこと、部屋にいるとパチッ、パチッという音が鳴っていて、はじめは書棚付近だったので棚がずれて鳴ったのだなと思っていましたが、どうやら音源は移動しているようで、今度は天井からなり始めました
電気がショートしているのか、それとも家鳴りがしているのかと思い、それにしても次々に音源が動いているようで不思議になりました
次第に音は頻繁になり、ついにはコンサート終わりの鳴り止まぬ拍手のように鳴り響きだしました
その時は特に怖さも感じずに変わったことがあるなと思いながら横になりましたが、気づいてみるとその日は私の誕生日でした
今まで霊的な経験の無かった自分としてははじめての経験でしたが、それが自分の誕生日に起こったことが何を意味しているのかはわかりませんでした
それから数日たち、内省的になっていた自分に、まるで稲妻が脳天に直撃したかのようにひとつの考えが天から落ちてきました
自分の思考そのものが外界の出来事を引き付け、作り出している
それは仏教の唯識学派でも言われていることで、別段、目新しいことでもなく、自分も知識としては知っていたことなのですが、そのときはまるでグチャグチャになったジグソーパズルが一瞬にして頭の中でハマルように認識の視野が広がった感じがしました
知識として知っていることと、体感し、ほんとうに理解することとは別なのでしょう
そしてなんともいえない幸福感に満たされました
まるで今まで深海の重い水圧のかかっていた意識が、急に海面に飛び出して一気に開放されるかのようでした
窓を出て外の景色を眺めると、いままで目に膜が張られて薄暗くしか見えなかった世界が、本来の輝きを取り戻したように煌いて見え、愛の波動が共鳴し合い響きあっているのを感じました
それから何故自分は周りの人を不幸せにしてしまうのではという思が強いのだろうかと内観して考えているとひとつのビジョンが浮かびました
西洋人風のいでたちの男性で丘の上の草むらに座って眼下の町並みを見下ろしている風景です
それはなぜかとても寂しい気持ちを湧き立たせました
何故だろうか?そう思いさらに探っていくとこのような感じでした
その男性は霊的能力を持っていて、何か秘儀にあたる教えを継承しているようでした。そしてお弟子さんたちがいて彼らを霊的な真実に導ていたのですが、当時流行っていた宗教により弾圧されてしまいました
自分自身が迫害され苦しむことは享受できるのですが、愛するお弟子さんたちが自分のせいで苦しまなければならない
そのことに耐えられなくなった彼は教えるのをやめて、ひっそりと誰の目にもつかないところへといってしまうのでした
これは自分の前世なのだろうか?それなら今世の自分が、周りを不幸せにしてしまうことを気に病んで苦しんでいる状況と、人とのかかわりを避ける傾向の意味がわかります
ですが、出来すぎている感じがして、これはきっと頭の中で勝手に今の状況を考え合わせて作り出した物語ではないか?っと考えました
そこで自分の見えたビジョンが本当かどうかを知るため、前世を見れるとする占い師をネットで調べてみてもらいました
七人ほどの占い師さんに見ていただいて、結果はというと・・・・・・残念ながらみなバラバラで今世の自分からしてとてもそんな前世ではないように思えることばかりでした
ただ、中世の貴族の関係の前世話は何人か共通しているといえばそうなのですが、これはただ、日本人が中世ヨーロッパの貴族といえば喜ぶからという理由からたまたま重なったのだと思います
やはり前世というのは脳内で作られた物語なのかなと諦めかけた時に、ネットで見かけた前世を見られる方の感想を読んでみると、どうもリアリティがあって本当に見えてるのだろうかと思えたので駄目もとで試してみることにしました
電話で名前を告げて前世の話を聞きました。すると、その方は自分の見た前世と同じものを話し出しました
多くのお弟子さんに囲まれていましたが、弾圧にあってつぶされ、本人は故郷を出て行ったこと。家族や愛する弟子たちと離れ離れになっていった
そして自分にとって衝撃的な言葉をその人は言いました「自分が苦しむより、愛する人が苦しむ姿を見ているのがずっと辛かったですね」
その言葉を聴いてから何故か胸の奥から悲しみがこみ上げてきました。電話を切ってから涙が流れ続け、数時間ベッドのなかで泣き続けました
こんなに泣き続けたことは無く、心の奥底に潜んでいたブロックが浮上してきて開放されていく体験でした
その頃から、自分の前世だけではなく、目をつぶってリラックスしていると、他の人の前世らしきビジョンが浮かんできていました
たとえば、ある方を見て、巫女をしていて身ごもってしまい、それが発覚して相手の男性と引き離され、子供も取り上げられたビジョンが見えました
それをお伝えすると、実は子供の頃から子供が出来ることと結婚することに何故か言い知れぬ恐怖心を感じているとのことでした
おそらく前世からの経験が影響して何故か知らない恐怖心となって今世に出てきたのでしょう
それをご自身が知ることによって恐怖心は薄らいでいったとのことでした
また別な例では、仰向けに高所から落下して背中を強打するビジョンが見え、それを伝えた方は、高所恐怖症でそれも普通は下を見て恐怖を感じると思いますが、その方は何故か空を見上げると恐怖がつのるとのことでした
仰向けに落ちていくことで空を見上げているのでそうした恐怖心が沸いたのではと思います
他にも洪水に見舞われた方の場合は水恐怖症だったという場合もあります
そうした偶然の確率では起こり得ないような意味のある符合を経験するにつれて、前世は実在するのではないか、人間は生まれ変わり死に変わり輪廻を繰り返し、魂の課題をクリアーしていくためにまた生まれてくる存在なのだと確信するようになりました
いろんな方の前世を拝見していくと、この地球上の人間だけではなく、別の惑星からこの地球へと転生している人々もいることを知りました
この地球に生きている人間だけではなく、宇宙にはさまざまな知的生命体が存在しており、しかも宇宙の記憶を失って、地球人として学びをしている人たちもいます
私が子供に頃に感じた違和感、地球より高度な惑星より来たという思いは、単に幻想のみではなく、実際の出来事だったのかもしれません
また、前世が見える以外にも、見えない存在からインスピレーションを受けるようにもなりました
その一部はブログでもスピリチュアルメッセージとして配信しています
よろしければ一度読まれてみてください
文章に表されるようなメッセージだけでなく、象徴的なビジョンを見ることがあります
印象に残った二つのビジョンを紹介いたします
ひとつは、まだ自分自身を責めている時期で、己を許せないころのことです
ある修道士らしき人が熱心に祈りを捧げていました
どうやらその修道士が自分のようなのですが、その前に光り輝くイエス・キリストが姿を現します
そして修道士にむかって「あなたは何故私を受け入れないのか?」と質問します
熱心な修道士は驚いて「私はあなたを受け入れます」と答えます
するとイエス様は「だれでも、自分自身を受け入れないものは、私をも受け入れないものである」っと伝えました
このビジョンの意味するところは、過度に自分を責めて自分を許せないというのは、自分自身の内にある神性や仏性を信じられず、認めないことと同じだという意味なのだと思います
それを伝えるためにビジョンを見せられたのでした
もうひとつのビジョンも自分は世の中のお役に立てていない。いまだにお荷物のような存在だと思っていたときに見たビジョンです
今度はお釈迦様とそのお弟子さんです
お弟子さんが病気になり、誰も看病してくれないなどの不満を言っているところにお釈迦様が訪れます
そこでお釈迦様は不満を言う弟子に「あなたは人のことを言っているが、あなた自身は健康であったころ一度でも病人を看病したことがあるか」と問います
お弟子さんは返す言葉がなくなり絶句しました
このビジョンの意味するところは、自分のことばかり考えて悩んでいるけれど、人に何をしてあげられるか、悩んでいる間に人に良いことが出来るのではないか、自分を責めて悩んでいることも実はエゴであり、発想を転換してこれから周りの人を幸せに貢献できることをしていくべきなのだ。そうしたことを教えるビジョンでした
これからは自分に出来ることで世の中に役立てられればと決意しました
日本では物質はたくさん溢れ文明が発達していますが、霊的真実には目を背けていたのではないでしょうか
目に見えて手で触れる物であれば誰だってそれを指し示せるでしょう
目に見えないスピリチュアルな物事を語っても、その存在を証明することは出来ません
残念ながら私が述べる霊的な出来事が事実であると証明するすべはありません
ですが、愛というものもそれを取り出してみんなの前に見せることは出来なくとも、それはとても大切なものだと人間は誰から教わらなくとも知っています
誰もがその存在の証明をできないのに、私たちは愛を感じ取り、確かに存在すると知ります
手にとって目の前に指し示すことは出来ませんが、それでも、私の言葉に何らかの光の一片でもあるならば、人は愛の存在をハートで感じ取れるように、誰かのハートに言葉が届くことを願って書き綴ります
本来人に意見を言ったり、思いを伝えることを避けて、嫌っていた自分がこのブログを立ち上げたのも、自身の経験やメッセージが、読んでいる方に少しでもお役に立てるならと考えてのことです
私には夢があります。すべての人が霊的真実に目覚め、魂は永遠に存在し、魂の課題をクリアーするために再び地上へと舞い降りる存在であることを知り、個々の魂の尊さと喜びとを知っていただきたいです
現在の文化や社会、政治と経済のシステムそのものにも問題が山積しているように思います。ですので、新たな社会のあり方や、政治経済問題にも言及していきますが、社会システムそのものの変革を望みます
思想や文明論も語っていきますが、より深い真理と英知を獲得し、物事の本質と隠された真実を伝えたいと願います
大きすぎる夢に対して、私の力は小さなものかもしれませんが、蒔かれた小さな種はいつの日か芽を出し、成長することを夢見ています
そして、多くの人が霊的真実に目覚め、私が味わったのと同じような幸福感に満たされる経験をされることを願います
以上、長々と自己紹介をお読みいただきありがとうございます
このようにして霊的な出来事とは縁の無い人生を生きてきたと思っていた私が、誕生日を境にして不思議な出来事に遭遇していく人生へと切り替わっていきました
ちなみにブログタイトルにもいれている「宇宙の兄弟たちへ」はインスピレーションを受けて書いた上記の記事からつけました
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