2013年 05月 06日
故太田龍の「ユダヤの日本侵略450年の秘密」:失われた10支族の視点も欲しかったナ!?
みなさん、こんにちは。
このところ、
カリフォルニアの山火事や
シリアの大爆発や
イタリアの巨大竜巻など、相変わらず世界は風雲急を告げてしまった。しかし日本はいまのところこの連休中に特に問題は生じていないようである。
さて、このところ、私は、故太田龍
の
「ユダヤの日本侵略450年の秘密」という本を読んでいた。いつかアマゾンで注文しようと思っていたのだが、たまたまブックオフで100円コーナーの本を見ていたら、意外な場所にひょっこりこの本が挟まっていたのである。そこで、105円で買って少しずつ読んでいたのである。
(1994年の本。もう20年も前にここまで理解していたというのは素晴らしい。)
簡単に言えば、太田龍が、ジョン・コールマン博士の
「300人委員会」を発見し、それを読んで、さらには、ユースタス・マリンズ博士の「新ユダヤ史」
新版 300人委員会
真のユダヤ史を読んで、イエズス会フランシスコ・ザビエル以来のこの数百年の日本史の真実を理解できたという本である。
この本の内容については、私はすでにさまざまな情報から同じような内容を見て知っているから、特に驚くことはないのだが、太田龍が「ユダヤ人」と呼ぶ人々、これすなわち、ジャック・オットー博士が「フォールト・ジュー(偽ユダヤ人)」と呼んだ人々、あるいは、もっとありきたりにアシュケナージ系ユダヤ人と呼ばれると同一である。
この人々というのは、「バビロニア」のニムロド信仰、スコットランドのドロイド信仰、ルシファー信仰、悪魔教などさまざまな言い方をされる人々のことである。どうやら、イエス・キリストにより直に「悪魔の子孫」と呼ばれた、俗にいう、かの有名な「パリサイ人」のことらしい。
この「パリサイ人」という日本語の呼び方にあるように、「パウリシアン」、「パリ=パリス」、「パリス・ヒルトン」などの名に出る、「パリス(Paris)」、物理学者の「ウォルフガング・パウリ(Pauli)」などの名前の由来にもなるものとほぼ同一のものである。
現代の言語学では、「R」と「L」の区別がつかない日本人は最悪のように言われるが、実はこれは全くの嘘であり、誤解なのである。西洋語の古代に戻れば戻るほど、現代の日本人のように、アールとエルの区別が曖昧になり、最後には同一、どちらでも一緒になるのである。
事実、西洋語の母体のシュメールの神々の言葉では、ゼカリア・シッチン博士が詳細に研究したように、古代語は子音だけの表示で母音は発音しやすいように適当に補う。そして、RもLも特に区別はない。さらには、循環語も意味が同一になるのである。
日本語では、「うまい」と「まいう」と言っても、同じ意味が取れるように、これと同じ事がシュメール語にはあったのである。
では、現在では、RとLの区別を口を酸っぱく言うが、それがたいした意味が無いというのはどういうことか、この際メモしておこう。
現代では、あまりに時間が過ぎ去ったために、西洋語も非常に複雑怪奇に発達してきた。だから、見かけ上は、LとRを区別しなければ意味が伝わらない。発音においては、現代になればなるほど、この区別が厳しくなり、しっかり発音できないと馬鹿にされてしまう。
しかしながら、その言葉の見かけの意味の背後にある、その言葉の持つ概念、意味する本来のものにまで目を向けると、ルーツが同じであることが多いのである。
一番わかり易いと私自身が感じているのは、「Br」と「Bl」で始まる言葉である。例えば、Blood(血)とBlond(金髪)などにある「Bl」と、Britain(英国)、Brand(ブランド)、Brain(脳)などにある「Br」である。日本語にすれば、それぞれまったく異なる内容の単語である。
悪魔教の研究者などは、この両方が「バール(Baar=Baal)の神々」から来た。これが、上の悪魔教のルーツの言葉の一つなのである。だから、この文字列を持つものは、そのルーツにおいて悪魔教由来なのだ、というような解釈をすることが多い。
まあ、この際この話はおいておき、上の英単語の表しているものは一つの対象であるということになる。群盲と象のように、その対象が大きな存在であるために、そのそれぞれの一部分を表現したら、そういうふうにたくさんの言葉が誕生したというようなものである。
要するに、これらの英単語がそのルーツにおいて表したものは、「アーリア人」という存在、すなわち、「シュメールの神々」のことである。体が大きく、金髪碧眼であり、高度に文明化した人の姿をした神のことである。この神々に近い姿と特徴を持つ人達のことを「アーリア人」と呼んだわけである。
そこから出発して、そのアーリア人の血を「Blood」と呼び、その髪質を「Blond」と呼び、その頭脳を「Brain」と呼び、。。。というふうに来たと考えられるということなのである。だから、アールとエルの見かけの違いはそれほど重要ではないということなのである。もっとも私個人の見方だが。
そして、それゆえ、シュメールの神々の血筋を持つと自称しているのが、最初のユダヤ人という人々なのである。シュメールの神々はエジプトとバビロニアを作った。そして、神々は人間という作業ロボットを創りだした。だから、現代に同じ事をするのだ、というのが、彼らの思想の根底にはる発想である。だから、「人類総奴隷化」、「人類家畜化計画」なんていう発想が出てきたのであるらしい。
しかし、太田龍のその本を読んだところでは、シュメールの神々というよりは、どうもエイリアンの方に近い感じがするというわけですナ。宗教に寄生し、人種に寄生し、民族に寄生し、文明に寄生し、文化に寄生し、その国家に寄生し、みな破壊する。破壊しきったあとはどこかに立ち去る。エイリアンそのものである。
名を変え、民族名を変え、宗教を変え、あらゆるものを変える。そうやって何かにとりつく。どうやらそんな人々らしいですナ。
さて、太田龍のその本の致命的欠陥があるとすれば、日本人の「古代イスラエルの失われた10支族」の問題やその観点がまったくないということである。いまユダヤ人が「目からうろこ」、「青天の霹靂」の驚きの状態にあるのがこの問題に見えるのである。太田龍がいったように、「この450年間最大の敵だ」と思っていた、神道日本、神州日本、皇統日本という呼び方をする国が、実は古代イスラエルのことだったということになってしまったからである。伊勢はイスラエルの意味だったのである。
ここに来て、ユダヤ人は、かなり方向転換せざるを得なくなったわけである。
はたして今後どうなることやら?
今後を乞うご期待ということですナ。
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