Sunday, May 19, 2013

In Deep in love

http://oka-jp.seesaa.net/article/361792403.html



さよならケプラー: ありがとうありがとう、本当にありがとう



▲ 2012年1月に、 NASA の探査機ケプラーが新たに特定した26個の「他の太陽系」。私たちの太陽系以外の太陽系もほとんど同じ恒星システムであることがおわかりでしょうか。ケプラーはこういう事実を私たちに教えてくれた探査衛星だったです。過去記事「NASA の星間境界観測機が初めて「太陽系外の物質の成分」を検知」より。
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ケプラーが私たちに残してくれた英知を無駄にしないように生きていきたい


ケプラーというのは、 NASA の探査機で、
Wikipedia の冒頭の記述をそのまま記すと、

ケプラーは、地球型の太陽系外惑星を探すためにアメリカ航空宇宙局が運用している宇宙望遠鏡であり、ディスカバリー計画の10番目の衛星である。

ケプラーは3年半にわたって10万個の恒星の明るさを測定し、惑星が主星を隠す時に生じる周期的な明るさの変動を検出することを目標としている。2009年3月6日に打ち上げられた。




このケプラーが
先日壊れちゃったんです


地球から 6000万キロ以上離れた場所で。
日本語の記事では CNN が記事にしていました。

ケプラー宇宙望遠鏡が故障、太陽系外惑星探査に暗雲
 
CNN 2013.05.16


kepler-telescope-nasa.jpg

航空宇宙局(NASA)は、宇宙望遠鏡「ケプラー」の方向制御に使われていた部品が機能しなくなったと発表した。

NASAによると、ケプラーは 5月14日に、方向制御に必要な「リアクションホイール」という部品の1つが回転しなくなり、太陽光パネルが太陽と反対の方向を向く「セーフモード」に陥っているのが見つかった。管制とも断続的にしか通信できなくなったという。現在、動かない部品の復旧が可能かどうか、または別の手段で制御できるかどうかを見極めている段階だという。

NASAのグランスフェルド副長官は「まだ終わったとは言わない」と希望をつなぐ一方で、地球から6000万キロ以上離れた距離にあるケプラーは「助けに行くことのできない場所にある」と肩を落とした。



NASA の副長官は「
まだ終わったとは言わない」と言っていますが、米国などでの報道の論調を見ていますと、

オワタ

という感じが漂っています。

これが仮に通信が完全に途絶えた場合、ケプラーは地球との「縁」も切れ、ある意味では自由意志で太陽系を漂う「地球発のマシン」となっていくのでしょうけれど、それにしても、この In Deep でも今までケプラーが発見した新しい惑星などに関してのことで、どれだけ記事にしたことか。


この In Deep というブログの宇宙関係に関する記事は、ケプラー以外にも、NASA の無人探査機のデータがなければまったく成り立たないものでした。

そして、このケプラーが発見した最大のことは、
「宇宙には私たちの太陽系や地球と似たような恒星や惑星が無数にある」

ということを私たちに教えてくれたことだったのです。
「人類覚醒のための探査機だった」と言ってもいいくらいだと思います。


ケプラーの発見について記した、いちばん最初の頃の記事はもう3年ほど前の下の記事です。

人類は孤独ではない:見つかり出した数多くの地球型惑星
 
2010年07月24日

上の翻訳から抜粋します。

この数週間だけで100以上の「地球と似た星」が見つかる
最近の数週間だけで、地球と同じ程度のサイズの惑星が100以上も発見されたという発表があった。

これらの発見は、アメリカ航空宇宙局が開発し、昨年から稼働している宇宙望遠鏡ケプラーによってなされたものだ。ケプラーは宇宙空間をスキャニングし、地球型の太陽系外惑星を探すために打ち上げられた。今回の発見によるブレイクスルーは、私たち人類が宇宙の中で単独ではないのかもしれないということを想起させる。




以下、ケプラーの発見と関係する過去記事を、少し多くなりますが、ピックアップしておきます。

別の太陽系の「地球の双子」が NASA により「確定」される
 
2011年12月06日

▲ 上の記事より、2011年にケプラーが発見した「私たちの太陽系とよく似た他の太陽系」と「その中の地球」の想像図です。




スーパーフレア(超巨大太陽面爆発)とは何なのか
 
2012年05月18日
▲ ケプラーは「他の太陽系の太陽フレアのデータ」を取っていて、京都大学の前原裕之氏と研究チームがそのケプラーのデータに基づいて、世界で最初となる「他の太陽系でのスーパーフレア」に関する大規模調査を行ったという記事でした。




新たに発見された「軌道を無視して動く」惑星
 
2011年09月16日

▲ スミソニアン天体物理学センターが発表した、ケプラーが発見した「見えざる惑星」の予想イラスト。この「見えざる惑星」は地球の倍ほどの直径があります。



ケプラーは、「
太陽系の外に無限に広がる私たちのきょうだいの存在」を私たちに教えてくれていました。


ケプラーが私たちに教えてくれたことはあまりにも偉大な事実だったですので、私にとってはケプラーは神がかった存在感があります。そのケプラー様が壊れたということは、

「あとは自分らで考えてみい」

という意味かもしれません。

宇宙のこと、他の太陽系のこと、宇宙と人類の関係のこと。

これからは私たちはケプラーなしでそれらを考えていかなくてはならないです。

「観測から思想」へと移行していくという言い方でもいいかもしれません。


なお、ケプラー計画には 500億円程度の予算がかけられていました。
その関係もあり、同じものを再び短期間で用意することは無理なことだと思います。




マシンたちは人類にいろいろと教えてから無限の空間へ消えていく


今、宇宙空間には地球から飛んでいった数々の地球マシンたちがいます。

最も遠くまで行っているのはボイジャー1号でしょうか。

ボイジャーは現在、

ボイジャー1号は地球から最も遠い距離に到達した人工物体となっており、太陽の影響圏から星間空間へと取って代わる広大な空間を飛行している。

2011年8月20日現在、太陽から約 177億kmの距離を秒速約 17kmで飛行中。



というような感じで飛んでいまして、太陽系(太陽圏)から外へ出ようとしていますが、2013年の現在も「太陽系から出た」という発表はないです。

私はかつて、「
ボイジャーはこの太陽圏から外へ出ることはできないのではないだろうか」というようなことを書いたことがありました。

太陽圏の正体: 「宇宙の地獄」で太陽系外から押し返されるボイジャー1号の運命
 
2011年12月08日

ボイジャーがいると思われる場所は下の図のような
子宮みたいな場所ですが、下の図の楕円の部分を越えると、太陽系の圏内から外へ出ることになるようです。


そして、私は上の記事で下のように書いています。

私たち地球の人類は、この太陽系の太陽のもとで「生まれた子どもたち」には違いないわけで、つまり、「自分が存在する場所はひとつ」であるということから、
「人類が太陽系以外に進んでいくことは許されない(あるいは出来ない)ことなのではないかのか」

というような感覚を先日持ちました。



まあ、今は上の考えとは少し違いますけれど、でも、「自分の地球という範囲」、そして、「自分の太陽系という範囲」を(精神的な意味も含めて)守りきることが、その太陽系に生まれた人類の生き方ではないかという気がします。


何しろ、ケプラーが教えてくれている事実は、「
宇宙はどこまでも無限に銀河と太陽系が連なっている」ということで、それぞれに無数の地球がある


以前何度か抜粋したことがあるのですが、晩年のフレッド・ホイル博士が著書に抜粋していたブッダの言葉を抜粋して、今回のシメとしたいと思います。

過去記事の、

ブッダの安堵: 科学が到達しつつある「宇宙に存在するあまりにもたくさんの他の地球と生命」
 
2011年05月25日

からです。

いずれにしても、今回はケプラーに感謝をこめた記事でありました。

ここからフレッド・ホイル博士の文章からの抜粋です。


「生命はどこからきたか」 最終章
フレッド・ホイル

「自分に忠実に生きなさい。真実の光をともし続けよ。真実においてのみ拒否しなさい。あなたの隣の誰かのために拒否するのではない。今、この先、生きる人々が知を望むなら偉大な達成が得られるだろう」(「マハパリニッチ・スッタ」 No.16)

これは現在でも将来有望な若い科学者への良い助言となる。紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。

この対話から、ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)を宇宙的表現として、すなわち、宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。

古代の伝統的仏教は数多くの点でわれわれがこの本で議論した方向へのコペルニクス革命を発展させるのに適した考え方であると思われる。もしそうした考え方が広がれば、少なくとも中世の足かせから解放された科学となるだろう。

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