Sunday, May 12, 2013

保存版として残したい記事ですから転載します



五度の岩戸閉めが開き始める「2012年」

2012-07-30
『日月神示』によりますと、過去、日本において、五度の岩戸閉めが行われてきたといいます。現在、岩戸が開かれてきたということを当ブログでも度々言及してきたわけですが、では、「岩戸閉め」とは何のことだったのでしょうか?今回はこの件について考察してみたいと思います。

まず一度目の岩戸閉めについてです。(五十黙示録・第二巻・碧玉之巻・第十帖)
「岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ。

夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう。

妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。」



ここでは、『日本神話』の中で、イザナギとイザナミが別れ離れになり、その後、イザナミだけが黄泉国へと入れられたことが第一の岩戸閉めであったことが言及されています。この神話が意味するところは、「男性性と女性性の分離意識の始まり」と、「男性上位の価値観の植え付け」が成されているということです。すなわち、「二元性の始まり」を示しているのです。

皆さん、神話を疑いましょう。イザナミだけが黄泉国へと入れられるなど、神の世においてはあり得ないことです。
神の世においては、男性性、女性性の区別はありません。両意識の「統合」がキーワードとなるのです。

次に、二度目の岩戸閉めについて見てみましょう。
「次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ。」


当ブログでは、「女神・天照大神=神功皇后、男神・天照大神=ニギハヤヒ」という説を採っております。よって、この神示の内容としては、
かつての岩戸開きの際には、日向族の「女神・天照大神」のみが岩戸から出てきただけであり、出雲族の「男神・天照大神」は未だに岩戸の中に閉じ込められたままである、と解釈しています。

しかし、「マコトの天照大神のお出ましが近うなって来たぞ」という神示通り、昨年の岩戸開き(東北大震災)によって、ニギハヤヒ(物部氏)の登場が近くなってきたと感じています。この件の詳細につきましては、「北に気つけよ」との神示とも関係してくる「神一厘の仕組み」ではありますが、自分なりの結論は出ております。

しかし、これは「悪の中に隠された最後の一厘」であるため、「言うてはならず、言わねば臣民にはわからんし、 苦しいぞ」という心境だと思います。よって、当ブログと拙著
『銀河系からのメッセージ』の方に、すでに多くののヒントを掲載しておりますので、そちらをご参照頂き、ご考察頂ければと存じます。

次に、三度目の岩戸閉めについてはどうでしょうか。
「次の岩戸閉めは素盞鳴命に総ての罪をきせて根の国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下を治(しろ)しめす御役の神であるぞ。

命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。」



まず最初にお断りしておきますと、素盞鳴命(スサノオ)とは本来「スーサの王」という意味であり、広義でこの名前を捉えた場合、「出雲族の族長」のことを表しているということです。よって、当ブログにおいては、「素盞鳴命=ニギハヤヒ」でもあるわけです。

さて、神示の内容についてです。
多くの人間の卑しい素性として、お金と自己保身のために、自分たちとは価値観の異なる人(または頭が良くて目立つ人)をスケープゴート(悪者)にして陥れようと、寄ってたかって茶化していじめる、というものがあります。『日本神話』の中でスケープゴートとして設定されているのが素盞鳴命なのです。このような神話設定をすることにより、「己の心に湧き上がる恐れと妬みを肯定して、他人をいじめる」という部分において、人民からの共感が得られてしまったという面はあったと思いますね。

この素盞鳴命への冤罪の押し付けは、『新約聖書』に登場する「イエス・キリストの磔刑」についても、全く同じことが言えると思います。やはりこれらの岩戸閉めを行った黒幕は、イエスを謀略によって葬った「パリサイ派ユダヤ人」の末裔たちであることは間違いないと思われます。すなわち、過去に自分たちが行ってきた行為を正当化するために、このような神話設定を施したというわけです。

現在、社会や学校において、「パワハラやいじめ」が大流行しているわけですが、自分よりも弱い立場にある他人をいじめる輩たちとは、かつてイエスによって「偽善者」のレッテルを張られた「パリサイ人(びと)」の忠実な下僕であると断言してよいと思います。
今後はこのような蛮行がなくなるよう、皆で愛と思いやりの思想を広げましょう。

次に、四度目の岩戸閉めについて見てみましょう。
「神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。」


ここでは、「人の世」の始まりの象徴である、初代・神武天皇の「人皇」としての即位が岩戸閉めであったと記されています。すなわちこれは、神武天皇を「この世の神」としてしまったことで、それ以外の人たちは「人間」であるという意識が植え付けられてしまったということなのです。(ちなみにこのようなメカニズムは、「宗教団体」の手口と全く同じものとなります。)

これから始まる「神の世」においては、一人ひとりの「神性」への目覚めが急務となります。私たちの思考、私たちが発する言葉には神が宿ります。時を経て、それらが実現してしまうということが、私たちが神の子であるという、その最たる証明となります。
「私は人間である」というセルフイメージを今日限りお止めになり、事あるごとに「我は神である」と心の中でつぶやき、セルフイメージを高めることに努めましょう。これが、岩戸を開く一つの重要なカギでもあるのです。

あと、神武天皇に関して言いますと、神話の中で「神武東征」ということで、縄文系先住民を悪者にした戦争行為が英雄視されており、この部分は大いに問題があると考えています。いかにこの地球全体の価値観が狂っているかが分かろうかというものです。「戦争する人=英雄」ではありません。他人を傷つける行為とは、極めて卑劣な行為であり、恐れから発せられる行為であると言えるのです。
それよりも、無益な争いを避けるために、差し迫ってきた日向族に国を譲ったり、道端のか弱きウサギを助けたという「因幡の白ウサギ」の逸話に象徴される、心優しき「大国主命」を英雄視するべきではないでしょうか?

さて、最後の岩戸閉めについてです。
「仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。」


これは、4世紀に騎馬民族である日向族(秦氏)が、「仏教」とともに朝鮮半島経由で入ってきたことを指しています。かつて秦氏は、我が国に高度な大陸の技術を持ち込み、文明の躍進に多大なる貢献をしました。しかし、一方で負の側面として、彼らが持ち込んだ仏教から派生して、「念仏を唱えるだけで救われる」、「踊り狂えば救われる」、「他の宗派を排斥すれば救われる」、などという邪教が生まれてしまったのも事実です。

聖徳太子は「神仏習合」を唱えましたが、太子の死後、上記のような邪教の影響によって、それまで存在していた「古神道(縄文神道)」の概念を否定するという、岩戸閉めも演じてしまったということです。さらには、彼らが持ち込んだとされる「神社神道」による弊害の側面があったことも否定できません。
「神社神道」自体が悪いとは思いませんが、しかし「神社神道」の信仰が広まるにつれて、古神道本来の「自然崇拝」の概念が忘れ去られてしまいました。また、神社で祀られている神を中心とすることで、自らが神の子であるということを忘れ、さらには、神社の神様に依存するようになってしまったという面はあったかと思います。(まぁ、今では神社にも行かない、無神論者で溢れかえってしまったわけですが・・・)

日本に存在する名立たる神社は、全て杜の中の「イヤシロチ」に建てられているため、そこに行くことによって、癒されるという面はあるかと思います。しかし、そこに集まる人たちの「粗い波動の悪想念」によって神社が汚され、今ではそのほとんどが「悪霊社」に成り下がってしまったといいます。

本来、神社で祀られている神様とは、自分のエゴによる願いを叶えてくれるような「便利屋」ではないはずです。
神社とは本来、自らが生かして頂いていることと、その土地の神様に対し、住まわせて頂いていることへの感謝を捧げる場所なのです。

現在は、「神の世」へ向かう過渡期であるため、まだ神社の役割はあるかと思いますが、これから次第に、人々が自らの中に「神」を見い出し、神人へと進化していった暁には、神社は全て不要になる世の中が訪れることでしょう。やはり、古代縄文期に栄えた「古神道の復活」というのが、岩戸開きの重要なカギであると言えるでしょうね。

最後に・・・「暗い顔をしてないと、周囲から妬まれていじめられる」・・・こんなバカな世の中はありません。
皆が真実に目覚め、岩戸が開かれることによって、神の世を「嬉し嬉し」で迎えたいと思います。


【参考図書】

「五度の岩戸閉め」から「岩戸開き」を実現させる本・・・

     銀河系からのメッセージ 日本神話と旧約聖書に隠された人類封印の謎銀河系からのメッセージ 日本神話と旧約聖書に隠された人類封印の謎
(「なか見!検索」できます。)
(2012/05/01)
曽ヶ端 賢治

完訳 日月神示完訳 日月神示
(2011/05/02)
岡本 天明

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