1/13の井口様の記事に反応しました。
111:内宇宙:コスモポリタン*カフェ:素朴な生活の真善美は、内側は外側に顕われることを意識しています。
また、宇宙人讃歌を書くブログでもありません。ただ宇宙が故郷であることを感じています。宇宙と地球生活と人類が一つであることを疑っていません。
宇宙と現実生活(これも内宇宙というスタンスとデプスと奥行きで捉えています)が一体であるからこそ、宇宙が心配もして干渉をするに至っています。
地球も宇宙の一部だからですね。地球の内も外も限界だった。それは宇宙や他の星星にも影響する。そういう一体感を覚えるのは大事なことです。
内は外であり、外は内。陰陽は要因であり陽陰と逆転することもしばしばです。
偏れば、何事も崩れる。外の事象を否定だけしても前に進めないはずですよね。
外の事象は、家庭内にも見ることができる。それを否定していては内が治まらない。
同じく、政府や国を責めて否定してばかりでは治まりません。
今でも私は、やはり感謝しながら出来るだけの最善を尽くすという導きを正しいと信じています。それがエキスです。
それを知らせたいブログは、それだけをアホのようでも良いから言い続ければ良いと思います。純粋にそれだけを、読者にあきられても書き続ければ良いのです。
何でも、命に合うことが情熱を生むのだと思いますから。
ですが、それと金儲けを混ぜこぜにするのは疑問です。つまり意識のことですが。
自然に儲かった。それを再び他のために生かす。これが私の理想です。と言いながら、目立って生かすほど儲けた経験も無いので、与えの経験も小さな小さなものです。
与えるというより、何かを共有する:体験や感動や安堵する一時など...笑顔や喜びや感謝し合うつかの間を共有する。そのつかの間に流れる結びつきを感じる:これは与えたが与えられている...という不思議を生み出します。
ですから、シンプルな結論は、与えて与えられる循環を生きるのが宇宙であり内宇宙という1人1人なのだ、ということです。
では、自説と諸々の到来の時節を信じない人を馬鹿にしたり敵だと見ることなど、できないのが普通になります。国々の問題も同じことです。
疑問を感じても、憎悪をしない。憎悪すれば会話の余地も生まれなくなります。
過去には他様のブログの、写真つきの、批判記事に近いものなどもアップしましたが、1月11日を境にして意思したリンクには、つなげておりません。
相手を知るには読んでみる。相手の圏内に入ってみる。それは私の気質です。
一度で決める霊感は0ですから。(笑い)
めんどうな手間がいる人間を体験するわけです。なんて書いても、皆さんの多くも似たようなしだいで転生したきたと思っています。
思ったこと感じたことが一瞬で現実化したら、「恐ろしい私が未だ昇華されていない」と、そう思う時があります。
それで、昇華=アセンションという意味合いでは受け入れます。そのための氷河期到来でもあると思います。ですから嫌がらずに受け入れる覚悟です。
人間が心空の(神宮)次元を上げなければ、宇宙も次の計画へと移行できないでしょう。
また、地球の形については、私はあくまでも磁気としての形成を、宇宙は観ていると信じています。同じく、私にも地球が丸く見えるとしても、内外を観てみれば8のような形とも成りますし、2つの8を縦横に交差させた十字形かもしれません。
過去の地球の磁気成形は、確かリンゴ形でした。これが2013年からは?
中心に北軸が2つ在るという写真をアップした記憶があります。
空想は、花びらが雄しべと雌しべを中心にして花開くような磁気流を形成する未来が来る。
子供じみた発想です。なぜ東極と西極は問題にならないのか。
思えば北極と南極ばかり。上か下か。そればかり。
その視点が右翼(欲)か左翼(欲)か、そればかりを生んできた気がして、地球の政治事からは距離を置くのが良いという、そんなノンポリです。
以下は引用転載です。井口さんの記事です。
そういったサイトの面々は、これまで私が永年に渡りここでもメモしていたような、
この世界の裏に君臨する超国家的な権力集団の画策して来た世界史上の陰謀話を、昨年末の国内の現実の政治の話とを”無理矢理リンクさせてしまった”からである。
そういったものに対する一種の恐怖や憎悪による誘導を利用して、自分の信じる政党への投票を誘導しようとするものばかりとなってしまった。
そのために、かなり無理が出て来て、話が支離滅裂に陥り、もはや正真正銘のパラノイヤ的になってしまったものばかりとなった。特に、アセンション系はそれが顕著であるように見える。
こうなると、物事は信じるか信じないか、信じるものは味方、信じないものは敵という、「二元論」や「「ダイコトミー」に陥るのである。
これをもっとも組織的かつ典型的に行うのが、いわゆる「カルト宗教」である。いわゆる「お花畑系」のサイトの人たちもまた、いわゆるカルトほどひどくないが、やはりそうしたカルト特有の心理状態に陥ったように見えるのである。
よくカルトの人たちが、自分たちの世界と他のものの世界を区別して柵をつくり、その中に自分たちの王国を作り出す。これに似ている。
このもっとも古いものが、いわゆる「ユダヤ人の王国」や「偽ユダヤ人のソロモン王国」の神話であろう。
自分たちの同胞を「人間」と呼び、他の人種や異教徒たちを「ゴイム」と呼ぶようになってしまったその精神構造である。
私にはこの精神構造とここ最近のスピリチュアル系やお花畑系や宇宙人礼賛系の人々の精神構造の間にかなりの類似性を見たのであった。これはかなり末恐ろしいものである。
バックミンスター・フラーは、こういう精神的物理的囲い込みのことを「2次元的思考」や「平面的思考」と評した。つまり低次元の代表格と定義したのである。というのも、地球が局所的に見れば一種の平面だという、平面を前提にするからこそ丸や四角で囲み込むことが出来るからである。それにより、「内と外」、「内部と外部」、「味方と敵」を区分する思考に進むというわけである。
それに対して、地球は丸く、平面ではない、という発想から3次元的思考が生じる。
私にはこの精神構造とここ最近のスピリチュアル系やお花畑系や宇宙人礼賛系の人々の精神構造の間にかなりの類似性を見たのであった。これはかなり末恐ろしいものである。
バックミンスター・フラーは、こういう精神的物理的囲い込みのことを「2次元的思考」や「平面的思考」と評した。つまり低次元の代表格と定義したのである。というのも、地球が局所的に見れば一種の平面だという、平面を前提にするからこそ丸や四角で囲み込むことが出来るからである。それにより、「内と外」、「内部と外部」、「味方と敵」を区分する思考に進むというわけである。
それに対して、地球は丸く、平面ではない、という発想から3次元的思考が生じる。
上も下も区別のない世界が存在するという思想導かれるというわけである。こうなると、地球の表面に丸や四角を書いたとしてもどちらが内でどちらが外であるかは意味をなさなくなる。これこそ高次元の思想だと考えたというわけである。
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