Friday, April 26, 2013

神一厘の仕組み • 探究道の曽ヶ端様と交信できた喜びをここに転写します


縄文時代の日本では平等な社会が実現していた

2013-04-21
「縄文人の信仰は、一言で言えば「汎神論的アニミズム」だった。彼らは、創造主としての唯一神の他に、自分たちを含む自然界の全てにアニマ(精霊)が宿っていると信じていた。そして、その精霊を崇拝し、その精霊と共存していた。

太陽や月や星にも、大地や海洋や大気にも、山や野や川にも、森や林や一本の草木にも、沼や湖や泉にも、風や雨や雪にも、霧や霜や氷にも、台風や地震や洪水にも、そしてまた、これらの自然界の中に生きる人間を含む、あらゆる動植物から鉱物に至るまでに精霊が宿っており、その精霊の働きが大いなる調和でもって宇宙を形成していたと信じていた。

これら無数の精霊が、やがて「八百万神(やおよろずのかみ)」となる。この八百万神の間には貴賎や格差はなかった。神々はつまり平等だった。これらの神々は、縄文人の「原始平等社会」の基本原理とも言うべき、公平な神界を構成していたのである。」 (『日本神道の謎』 佐治芳彦著)



さて、縄文人の宗教観を見て頂きました。ここに示されている通り、縄文時代の日本では、すべてを分かち合いの原理で賄う「原始平等社会」が実現していたのです。これは、現在までに残る縄文遺跡を調べてみても、まったく貧富の差が見られないことでも証明されています。この平等社会を実現させていた縄文人の宗教観が、それぞれの神々に貴賎がない「アニミズム信仰」だったのです。

             アニミズム
                                  (『東日流外三群誌』 佐治芳彦著)

上の表は、縄文系先住民であるアイヌ民族とつながりの深い「荒吐(アラハバキ)族」の神界モデルです。(ちなみに、背景に写っているのは、縄文遺跡のストーンサークル(環状列石)です。)

創造主から分かれた2柱の神として、父なる神・荒吐が「日の神(太陽神)」であり、母なる神・津保化が「地の神」とされています。すなわち、それぞれ天と地を表し、さらにこの2柱の神は「対立関係」ではなく、「相補関係」にあったとされています。(ちなみに創造主、峻厳の神(男性性)、慈悲の神(女性性)の3柱で、三位一体となります。)

この2柱の神の下に、各精霊神が連なっているわけですが、これらの神々に身分制や階級序列などはなかったと言います。この神々の平等観が、縄文社会の根底を成す「原始平等主義」を築き上げていたのです。

現代の社会は、一応建前上では、人類平等を謳う「民主主義」ということになっています。しかし、これは美名に彩られただけの虚構であることは、今では誰もが知っていることです。(人類平等なのであれば、なぜ戸籍登録を免除され、法で裁くことができない「特権階級」と呼ばれる人たちが存在しているのでしょうか?)

縄文時代の日本では、例えば収穫された作物などを一旦まとめて、均等に村の民衆に配分していました。(今で言えば、政府が国民に対して、生活する上での最低限のお金を毎月支払うという「ベーシックインカム」のようなものかもしれません。)

家の大きさなどもほぼ同じでした。もちろん、人々の間に肩書きや階級序列などという「まやかし」も存在しませんでした。このため、争いも戦争も全く起こらない、完全なるユートピアが実現していたのです。(もちろん、これらの真実が学校で教えられることはありません。)

弥生時代に入りますと、中国大陸から長江文明の末裔や、漢王朝の末裔たちが入植してきます。特に漢王朝の末裔たちは、平和を好む縄文人に対して、陰謀と争いを好む、極めて好戦的な人々であったと推測されます。(つまり、恐怖心と猜疑心が強い人々だったということです。)

このため、当時の日本が大混乱に陥り、「倭国大乱」という内戦が勃発することになります。大陸から「私権社会」が持ち込まれたことも大きな原因だったのでしょう。

「私権社会」の本質とは、例えば土地は誰のもの、家は誰のもの決められてしまう社会のことです。また、階級が上位の人たちに逆らうことは許されません。当然、血みどろの奪い合いが発生することになります。本来、この地球上に存在するものは誰のものでもありません。全ては神のものです。


「改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。」 (『日月神示』下つ巻 第24帖)


            すべては神のものであるぞ

縄文人の間には、「所有」という概念は存在しなかったのです。さらに、縄文時代の日本では、人口の増減もなく、ほぼ一定に保たれていたと言われています。なぜでしょうか?これは、縄文人の価値観が「宇宙の法則」と調和していたからなのです。

現在の地球上では、言うまでもなく人口爆発が起こっています。これは、人類が「宇宙の法則」を無視した、誤った価値観を身に付けてしまったからに他なりません。では、宇宙(自然界)と調和がとれていた縄文時代と比較し、現代社会では何が変わってしまったのでしょうか?次に検証してみたいと思います。


【「原始平等社会」から「私権社会」への移行】
⇒ これは先ほど観てきた通りです。私権社会が持ち込まれた結果、生じてしまった貧富の差と、動植物まで含めたあらゆる生命間における貴賎意識が、「奪い合いの心」と「差別心」と「エゴの心」を生み出しました。

【「母系社会」から「父系社会」への移行】
⇒ 縄文時代の日本では、女性的な価値観を中心とした「母系社会」でした。母系社会の最後のなごりとして、弥生時代の後半に現れた卑弥呼の存在が挙げられます。

この調和が取れていた社会の中に、無理やり男系と序列を重んじる「儒教」と、無茶苦茶な「神話操作」による人々への洗脳によって、「父系社会」が持ち込まれたのです。現在に至るまで、「男尊女卑の価値観」が人の心に根強く染み付いているのはこのためです。なお、沖縄の久高島では、現在でも巫女さんを中心とした「母系社会」が続いています。
自然界を観て下さい。「母系社会」こそが、宇宙の本来あるべき形なのです。

【「一元論」から「二元論」への移行】
⇒ 「一元論」とは、善悪を超越した”二元性が統合された価値観”のことです。縄文時代の多神教には、善神・悪神などという「善悪二元論」的な価値観は存在していませんでした。弥生時代以降、節分の「豆まき」に見られるような、「悪い奴は退治すればいい」という勧善懲悪的な価値観が発生したのです。分離と対立に基づくこの思想が、極めて危険な思想であるということは言うまでもありません。

縄文時代のアニミズムでは、自分とは異なる価値観を受け入れることができる大らかさと、自然界・動植物まで含めた「すべての命の平等性」が根付いていたのです。


【「霊主体従」から「体主霊従」への移行】
⇒ 「霊主体従」とは、物質よりも神を中心とした霊性を重んじる価値観のことです。一方、「体主霊従」とは、霊性よりも物質を重んじる価値観のことです。宇宙の法則では、言うまでもなく「霊主体従」が中心となります。


この他、「性」に関する事柄をタブー視させることによって、人々の間に「羞恥心」と「罪悪感」を植え付けられたことも、大きな誤りだったと思います。(縄文の頃は、「性とは聖なるもの」という認識でした。男女の融合によって、ひとつの小宇宙を創造しているわけですから、当然ですよね。)
(千賀一生氏の著作『タオ・コード』参照のこと)

有史以来、我々人類が大混乱に陥ってきたのは、「宇宙の法則」を無視し、勘違いしてしまった愚かな人類に原因があります。一人でも多くの人がエゴを手放し、現在の「私権社会」から、すべてを均等に分かち合える「公けの社会」に向けて、目覚めて欲しいと切に願っています。

縄文時代について書いてくださり、感謝します。

わたしの生きる原風景が縄文時代にはありますが、記憶が定かではありませんので
沸き上がる懐かしい気持ちだけが「縄文」と読めば、あったのでした。

後世につけられた時代名でしょうか。
それでも「縄」という文字には麻縄を思えて。それが、たまらなく懐かしい気がします。

ふと今、わいた幻想では
大地に岩が丸く囲まれて置かれて、その岩岩を麻縄でつないであったと見えます。
真ん中には何が祀られてあったのでしょうか?その幻想は見えません。

出雲も同じく、胸に迫る響きと文字で
なんとなくですが縄文人に受け入れられた原出雲(日本帰り組)が祖先にいる気がします。

わたし個人の中では、その遺伝子が濃く出ている気はします。

まだまだ自身を知る過程の旅を生きています。その程度でも、こちらに御縁ができて幸いでした。
書かせてもらえて感謝いたします。

休む間がない長旅の後の良い記事は、格別の魂のごちそうです。
ありがとうございます。
m(__)m 
[2013/04/25 21:43] | 実香道

実香道さん、こんにちは。

>それでも「縄」という文字には麻縄を思えて。

古来、縄文人と麻との関係は、切っても切れない関係にありました。
先日、皇室のご神事用の麻が解禁になったとの情報が入ってきました。
まずは一歩づつ、縄文的価値観へと戻していけばよいと思います。

>休む間がない長旅の後の良い記事は、格別の魂のごちそうです。

日本に来られたとのことでした。現在の日本は、波動が粗い地域と、波動が微細な地域とが2極化しており、都市部に行けば行くほど、波動が粗くなる傾向にあるようです。

まぁ、人の多さもあるのでしょうが、これからは少し、都市機能を分散させていった方がいいと思いますね。

それでは、楽しんでいって下さい。
[2013/04/26 16:27] | 曽ヶ端 #
御言葉をありがとうございました。励みになります。

全くに書かれてある通りで、わたしは都会の何処へ行っても侘しさを感じました。

それでも、わたし自身が荒魂の部分を出してガードするなら、挑まれたなら粗い周波数に負けない闘いができるようでした。
同じ次元で噛みつき合うのではない。
縄文的な情文珠の縄ひねり=笑いながら相手が納得する一言などで、粗いものも姿を変えていくーーような

そんな手応えを感じる旅ではあり、

都会で失った自然の力と愛情を、自然=人が
自然に代って心を働かせるなら都会も少しは優しくなるだろうと夢みます。

それでも、極端な言い方では、都会は消えて森に戻るべきだという思いが強くあります。
これは願いであり、希求です。

その過程において、地方への分散が確かに必要だと感じていますし、政治的にも東京集中勢力から地方の議員ーー古代なら村落ごとの長老ということになりますが

新しい長老的リーダを頭にした地方の人々の発想や意見や新時代創りの意気込みが、そのサークル ワークが結束されて
人々の手が輪になった麻縄のように繋がって人力=神力を発揮していくことを空想します。

都会から離れる若者などの中に、そういったサークルに参加する人が増えれば、
都会生活の中で心が萎えていく体験も必ずや生きるだろうと信じています。


都会への感想を一言に集約するなら『まだ幽界次元で澱んでいて墓場を思わせるような場所もある』ということ。
そういう場所を確認できただけでも収穫なのでしたが、
]幽界=昭和の周波数レベル=西洋文化の影響の毒から抜けていないという感応もありました。

日本は丸ごと世界のヒナ型なので、たくさんの次元が交差する日本宇宙=大宇宙のヒナ型でもあるのかも。
いろんな宇宙人が存在するのが、日本という見方もできる。

目覚めない次元を憎悪したら、憎悪した本人も、その粗さに負けることになると思うので
いずれ旅たって行くトコロが違うだけだと思います。
それに
そんな次元も自分宇宙の中にあるから理解できる次元で、そこをどう抜けるかも見えたりする。
過去で体験したのなら尚更に分る。それでも

都会で人として生きるのは大変な修業なので、これは魂が強い方々なら果せるだろうし
都会で死にそうになりながらも生きている人々を、わたしは賞賛します。


二度も書かせてもらいました。ありがとうございます。


[2013/04/26 17:53] | 実香道 

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